甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【香取市】光明院

今回は千葉県香取市の光明院(こうみょういん)について。

 

光明院は多田地区の丘陵に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は八幡山、寺号は西福寺。

創建は不明。寺伝によると、源満仲(多田満仲)が平将門を弔うため、天慶年間(938~947)に寺と八幡宮を建てたのがはじまりとされます。その後の詳細な沿革は不明。

境内は、平将門の乱の際に源満仲が陣を置いた場所とされ、「源満仲伝承地」として市の史跡となっています。主要な伽藍は江戸後期以降のものと思われますが、阿弥陀堂は寺伝によると安土桃山時代の造営で、県の文化財です。

 

現地情報

所在地 〒287-0014千葉県香取市多田637(地図)
アクセス 香取駅から徒歩40分
佐原香取ICから車で5分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

鐘楼と本堂

光明院の境内は北西向き。入口は丘陵上の集落の中にあり、坂が急で道幅も狭いです。

入口に山門や塀はありません。境内の周囲は木立に囲まれています。

境内に入ると最初に行き当たるのが鐘楼。

鐘楼は、入母屋、銅板葺。

 

柱は面取り角柱。頭貫には象鼻。

柱上には台輪が通り、組物は出三斗。

軒裏は一重の扇垂木。

 

台輪の上の中備えは詰組。

 

参道右手には本堂。

寄棟、向拝1間、桟瓦葺。

 

虹梁中備えは板蟇股。

向拝柱は角面取り。側面には木鼻。柱上は出三斗。

向拝と母屋のあいだには、まっすぐな繋ぎ虹梁がわたされています。

 

薬師堂

参道の先には薬師堂が鎮座しています。屋根の茅を葺き替えてから日が経っているようで、苔と灌木が生えてしまっています。

桁行3間・梁間3間、寄棟、向拝1間 軒唐破風付、茅葺。

造営年不明。寺伝によると1578年(天正六年)造営とされます。県指定有形文化財。

 

屋根に草が茂っていて分かりにくいですが、向拝は軒唐破風付。

兎毛通の蕪懸魚には、若葉状の鰭が付いています。

奥の小壁(写真左下)は、とくにこれといった意匠はなく、梁の上から唐破風の棟木が出ています。

 

虹梁中備えは透かし蟇股。はらわたには、牡丹あるいは菊と思われる花が彫られています。

なお、向拝部分は後世の改変とのこと。ここに彫刻の入った蟇股を置くのは、安土桃山時代にしては先進的な造りだと思うので、向拝部分が後世の改変だというのもうなずけます。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。この面取りは、江戸中期かそれ以降の技法です。

柱上は連三斗。

柱の正面と側面には木鼻。側面の木鼻には皿斗が乗り、組物を持ち送りしています。

 

「中世末期頃の建築で、後補で向拝が付加された」という経緯は、同県印西市の栄福寺薬師堂とよく似ています。建築様式や、折衷様という点でも似通っています。

栄福寺薬師堂は国重文なので、造営年や改修の履歴がわかる資料があったなら、この光明院薬師堂も国重文に指定されていたことでしょう。

 

向拝柱の上では、板状の手挟が軒裏を受けています。

海老虹梁は、向拝柱の虹梁の高さから出ています。母屋側は頭貫の高さですが、柱筋から少し外にずれた位置に取り付いています。

 

正面中央の柱間。

組物は出組。組物は極彩色に塗り分けられていた跡があり、安土桃山時代から江戸初期の作風です。

中備えは蟇股。彫刻の題材は松と思われます。平板な造形で、こちらも安土桃山時代のものだと言われても納得がいきます。

 

柱は角柱で、上端が絞られています。これは粽(ちまき)といい、禅宗様の意匠。

頭貫と台輪には、禅宗様木鼻。

軒裏は平行の二軒繁垂木。禅宗様だと軒裏は放射状の扇垂木なので、この軒裏は和様です。

 

向かって左の側面と、背面。

正面側面ともに3間。側面と背面の柱間は、いずれも引き戸。

母屋の周囲4面には、切目縁がまわされています。

 

右側面。

屋根は寄棟ですが、母屋はほぼ正方形の平面で、大棟の横幅が短いため、横から見ると宝形のようなシルエットです。

前述したように向拝は後補のようなので、かつては同県印西市の泉福寺薬師堂のような、軒先がまっすぐ整った姿をしていただったのでしょう。

 

源満仲伝承地と八幡宮

薬師堂の右手には、「源満仲伝承地」なる史跡があります。

丘の頂上には、源満仲の供養塔として五輪塔が立てられています。

平将門の乱の折、鎮圧のため関東に出兵した源満仲が、この場所に陣を置いたという伝説があるようです。真偽のほどは不明ですが、市指定史跡となっています。

 

「源満仲伝承地」の右手には八幡宮。

伝承によると、源満仲が勧請したとのこと。おそらく石清水八幡宮(京都府八幡市)の分霊と思われます。

八幡宮本殿は、一間社流造、銅板葺。

造営年不明。私の予想になりますが、江戸後期のものと思われます。

 

虹梁中備えには竜の彫刻。

向拝柱は几帳面取りで、正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。

 

母屋の正面は板戸。

扉の両脇の彫刻は、左が降り竜、右が昇り竜。

 

側面と脇障子の羽目にも彫刻があります。題材は、私の知識では特定できません。

 

頭貫木鼻は唐獅子の彫刻。

組物は出組、中備えは蟇股。

妻飾りは大瓶束。

 

破風板の拝みと桁隠しには、妙に大ぶりな懸魚が下がっています。懸魚についた鰭は、若葉の意匠。

 

背面。こちらの羽目にも彫刻があります。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

縁の下は、雲状の持ち送り板でささえられています。

 

以上、光明院でした。

(訪問日2022/11/20)