甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【羽曳野市】誉田八幡宮

今回は大阪府羽曳野市の誉田八幡宮(こんだ はちまんぐう)について。

 

誉田八幡宮は市北部の住宅地に鎮座しています。

創建は社伝によると559年。応神天皇(誉田別命)の陵の前に廟を造ったのが始まりとされます。奈良時代には行基によって神宮寺・長野山護国寺が開かれます。1051年に後冷泉天皇が行幸し、その際に社地を1町(約100メートル)南の現在地へ移転しました。

鎌倉期・室町期は源氏の氏神として崇敬されましたが、室町後期から戦国期は荒廃し、織田信長に社領を没収されています。江戸初期に現在の社殿が再建され、その後何度か改修が行われました。明治期には神宮寺が廃寺となっています。

現在の社殿は江戸の最初期に、豊臣秀頼の命を受けた片桐且元により造られたもの。境内は誉田御廟山古墳(応神天皇陵)と隣接し、最古の八幡宮とされます。

 

現地情報

所在地 〒583-0857大阪府羽曳野市誉田3-2-8(地図)
アクセス 古市駅から徒歩10分
藤井寺ICまたは羽曳野ICから車で10分
駐車場 20台(無料)
営業時間 05:00-19:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト [公式]誉田八幡宮
所要時間 15分程度

 

境内

参道

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誉田八幡宮の境内は東向き。正面側は駐車場になっています。

鳥居は石造の明神鳥居で、扁額は「八幡宮」。八の字がハトの意匠になっています。

 

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参道左手には手水舎。写真は参道の反対側から見た図(南面)。

切妻、本瓦葺。

 

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頭貫には象鼻。

柱上は大斗と実肘木。

妻飾りは蟇股。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

 

拝殿

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参道の先には拝殿が鎮座しています。神社の社殿としては非常に大規模。

中央部が通路になった「割拝殿」の形式です。ただし内部は通行できず、後方にある本殿を見ることもできません。

 

拝殿は入母屋、向拝1間・向唐破風、本瓦葺。

豊臣秀頼の命を受けた片桐且元によって1606年(慶長十一年)再建。寛永年間(1624-1645)に改修を受けています。

 

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向拝部分は1間の向唐破風になっています。

各所に彫刻が多用され、どちらかと言えば江戸中期以降の造りに見えます。

 

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虹梁には唐草が彫られています。

虹梁中備えの彫刻は「司馬温の甕割り」。水甕(みずがめ)に転落して溺れている子供を、司馬温が甕を叩き割って救出するという逸話。ただしこの彫刻はなぜか梅の花のような意匠が混じっています。

妻虹梁の上には大瓶束が立てられ、唐破風の棟木を受けています。大瓶束は獅噛(しがみ)のような風変わりな意匠になっています。

 

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唐破風の拝みから下がる兎毛通は、鶴(あるいは鳳凰?)の彫刻。

破風板や丸瓦には徳川家の家紋・三葉葵。おそらくこの辺りは、豊臣氏滅亡後に改修したのでしょう。

 

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向拝柱は几帳面取り。正面には竜、側面には唐獅子の木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

母屋の軒裏と向唐破風の軒裏との取り合い部分は、隅木のような斜めの部材(写真右)を使用しています。あまり見かけないおもしろい構造だと思います。

 

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向拝柱と母屋のあいだには、繋ぎ虹梁がわたされています。

こちらの虹梁中備えにも彫刻がありますが、題材がよく解りません。

 

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母屋と向唐破風の接続部。

虹梁中備えには何かしらの故事を題材にしたと思われる人物像があります。

唐破風の小壁では、しゃがんでふんばったポーズの力神が棟木を受けています。

 

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内部の通路部分。一般の参拝者は進入禁止。

本殿をのぞき込めるのではと期待したのですが、祈祷を受ける人のために設営されたテントに視界を阻まれ、本殿はまったく見えず。

内部は棹縁天井になっていました。

 

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母屋柱は円柱。上端が絞られ、粽になっています。

柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻が設けられています。

組物は出組。

中備えの蟇股には、唐獅子などの彫刻が入っていました。

 

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側面は3間。

柱間はしっくい塗りの壁と、桟唐戸になっています。

 

こちらからまわり込めば本殿が見えるのではと画策したものの、今度は高い塀に阻まれて見えず。よって本殿の解説は割愛。

ちなみに本殿は拝殿と同様に、豊臣氏による再建とのこと。祭神は誉田別命などの八幡神。

 

南大門

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誉田八幡宮の境内南側の出入口には、南大門が南向きに建っています。

神宮寺である長野山護国寺の門だったようですが、明治期の廃仏毀釈で護国寺は廃寺となり、現存する伽藍はこの南大門だけとのこと。

南大門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。

造営年不明。私の予想だと江戸後期のもの。

 

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前後の控柱は几帳面取り角柱。

虹梁の木鼻は唐獅子と獏。非常に良い造形だと思います。

唐獅子と獏の頭上にある台輪木鼻は、先端に複雑な繰型のような彫りがあり、こちらもまた凝っています。

 

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虹梁は唐草が彫られ、その上には台輪が通っています。

台輪の上の中備えは蟇股。はらわたに彫刻が入っていますが、題材がよく解りません。

蟇股の上の実肘木は、上述の台輪木鼻と似た繰型のような彫刻が入っています。

 

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妻壁は二重虹梁になっています。

 

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大虹梁の上は、中央が蟇股、左右が獅噛。

蟇股は菊と思しき花が彫られています。

 

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二重虹梁は出組で持ち出されています。

妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。

 

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南大門の左右の塀にも繊細な意匠が施されています。

妻虹梁には唐草が彫られ、妻虹梁と一体化した木鼻には雲の意匠が透かし彫りされています。

妻飾りは蟇股。鎌倉室町あたりの作風を思わせる曲線で構成されています。

破風板の懸魚もまた透かし彫りで造形されています。

 

境内社

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境内北側には境内社が点在しています。

こちらは恵比寿社。

鳥居は木造の明神鳥居。

 

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社殿は一間社神明造、銅板葺。

大棟には鰹木と千木が載り、母屋の左右には棟持柱が立てられるなど、神明造のセオリーを踏襲した造りになっています。

 

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恵比寿社の近くには稲荷社と層塔。

層塔は壊れた石造十三重塔の一部で、塔は平安後期から鎌倉初期に造られたと考えられているようです。

 

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拝殿の北側には当宗神社(まさむね-)。

平安期の『延喜式』に記載された「當宗神社」と比定される式内論社らしいです。

一間社流造、見世棚造、銅板葺。

 

以上、誉田八幡宮でした。

(訪問日2021/11/21)