甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【池田町】川会神社

今回は長野県池田町の川会神社(かわあい-)について。

 

川会神社は池田町の田園地帯にある集落に鎮座しています。

平安期の『延喜式』に記載されている古社で、穂高神社と同様に長い歴史のある神社のようです。境内や社殿については率直に言って見どころがあるとはいえず、あまり凝ったところのない流造の本殿があるくらいです。

 

現地情報

所在地 〒399-8602長野県北安曇郡池田町会染十日市場12079(地図)
アクセス 安曇追分駅から徒歩20分
安曇野ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

参道と社殿

川会神社入口

川会神社の境内は南向き。

入口の鳥居は石製の両部鳥居で、扁額は「延喜式内 川會神社」。

 

鳥居の右手には泉小太郎の伝説についての石碑があります。

内容は地域によって微妙に異なりますが、小太郎が竜神の背に乗って山清路(生坂村)から久米路(長野市)の岩山を突き破り、湖から水が抜けたことで松本盆地があらわれた、といった大筋は共通しています。

ですがこの石碑は松本盆地を開拓したのちの後日談があり、「泉小太郎は川合(原文ママ)に住んだのち岩穴へ隠れ、当地の人々は彼を祭神として川会神社を建立した」といった内容が書かれています。なお、川会神社の祭神は海神であるワタツミです。

 

ほか、境内入口には池田町出身の歌人・内山真弓(1786-1850)の年譜と歌碑も置かれています。

 

川会神社神楽殿

参道を進むと、鳥居と拝殿のあいだに神楽殿があります。

神楽殿は鉄板葺の切妻(妻入)。

 

川会神社拝殿

拝殿は鉄板葺の切妻(平入)で、向唐破風(むこう からはふ)の向拝が1間。

 

川会神社拝殿の向拝

向拝柱の上にはやや間延びした感がある出三斗(でみつど)の組物。

向拝柱をつなぐ虹梁(こうりょう)の上には、雲状の意匠をしていて斗(ます)が3つのっている蟇股(かえるまた)。その上には角ばった大瓶束(たいへいづか)が立っており、両脇に雲状の笈形が添えられています。

唐破風の拝みから垂れ下がる兎毛通(うのけどおし)は題材不明ですが繊細な透かし彫りがされています。

 

本殿

川会神社本殿

拝殿の裏手にはブロック塀に囲われた本殿が鎮座しています。

本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。

造営年代は不明ですが古いものには見えず、明治期以降のものと思われます。

祭神はワタツミ。同郡の式内社・穂高神社と同様です。

 

川会神社本殿の左側面

鉄板葺の屋根は厚みがなく、なんとも味気ない造り。創建が古くて由緒のある神社でも、社殿は真新しくて面白味がない...というのは式内社ではしばしばあります。

とはいえ紫の幕がかけられていたり、しめ縄の紙垂の状態が良かったりと、大切にされている様子。

 

軒裏はいちおう二軒(ふたのき)の繁垂木。柱は向拝・母屋ともに角柱。

向拝柱の木鼻は象鼻。母屋の頭貫の木鼻は拳鼻。向拝と母屋は湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。海老虹梁の向拝側は軒桁の高さ、母屋側は組物の高さから出ています。

母屋は、頭貫の上に蟇股が置かれ、妻虹梁の上には円柱の束が立てられています。

 

川会神社本殿の床下

縁側は正面と左右の計3面にまわされていて、床板は壁面と直交に張った切目縁(きれめえん)。欄干は跳高欄(はねこうらん)っぽいものになっています。背面をふさぐ脇障子にもこれといった意匠はなし。

正面の階段の下に浜床はありません。

床下を観察してみると母屋は通し柱がないようで、高床になった母屋の床下は束で支えられています。

 

以上、川会神社でした。

(訪問日2020/04/30)