今回は愛知県安城市の本證寺(ほんしょうじ)について。
本證寺(本証寺)は野寺地区に鎮座する真宗大谷派の寺院です。山号は雲龍山。
創建は1206年(建永元年)頃で、親鸞の弟子である慶円によって開かれました。鎌倉時代の沿革は不明ですが、室町時代には一向宗(浄土真宗)の一大拠点として隆盛し、16世紀前半に堀と土塁が築かれ要塞化されていきました。1563年から翌年にかけての三河一向一揆では当寺が拠点となり、一揆の鎮圧後は徳川家康によって廃寺にされたようです。その後、1663年(寛文三年)頃に再興されています。
現在の境内伽藍は江戸中期から後期のもので、大規模な本堂が県の文化財に指定されています。周辺は水堀がまわされた城郭風の構造となっており、境内全体が国指定史跡です。
現地情報
所在地 | 〒444-1165愛知県安城市野寺町野寺26(地図) |
アクセス | 南桜井駅から徒歩15分 藤井ICから車で5分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 本證寺 - ホーム |
所要時間 | 20分程度 |
境内
山門
本證寺の境内は東向き。浄土教の寺院のため、西を拝む向きとなっています。
山門の左右には堀があり、本堂と庫裏の周囲には水堀(内堀)がめぐらされています。パンフレットによると当初(室町末期)は外堀もあったようで、その一部が現在でも空堀として残っているとのこと。
要塞のような設備を備えていることから「城郭寺院」とも言われたようで、三河一向一揆(1563年)では一揆勢の主要な拠点となり、徳川家康と衝突しています。堀などの遺構がよく残されているため、「本證寺境内」として国指定史跡となっています。
山門は、三間一戸、入母屋、本瓦葺。
この山門の先が、参拝者用の駐車スペースになっています。
単層の門で入母屋はめずらしいと思います。軒裏は二軒まばら垂木。
柱は角柱。前後の控柱には木鼻がついています。
門の内部には天井が張られています。
山門向かって左には鼓楼。
二重、入母屋、本瓦葺。
1760年(宝暦十年)造営。市指定文化財。
下層。
石積みの上に建てられ、壁面の下半分は下見板が張られています。
上層。
火灯窓が設けられ、その上の中備えには蟇股が見えます。
柱は角柱で、小さくて見えづらいですが木鼻もついています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
本堂
境内の中心部には大規模な本堂が鎮座しています。
入母屋、向拝1間、本瓦葺。
1663年(寛文三年)再建。県指定有形文化財。
本尊は阿弥陀如来立像。鎌倉時代の作と推定され、市指定文化財。
ご住職のお話によると、浄土真宗では阿弥陀だけを信仰し、阿弥陀は立った姿で現れるという教義があるとのこと。そのため浄土真宗の寺院は、単体の(三尊像でない)阿弥陀如来の立像を本尊とするようです。
向拝柱は几帳面取り(唐戸面取り)角柱。側面に象の木鼻。
柱上の組物は連三斗。象の頭の上に皿斗が乗り、組物を持ち送りしています。
向拝を内部から見た図。
組物の上では、繰型のついた手挟が軒裏を受けています。
虹梁の中備えは蟇股。
縋破風に桁隠しはなく、軒桁の木口が露出しています。
母屋は正面と左右の1間通りが吹き放ちになっていて、板の天井が張られています。
母屋柱は角柱。上端がわずかに絞られています。
柱上は台輪が通り、頭貫と台輪に禅宗様木鼻。
組物は木鼻のついた出組。金網で見づらいですが、組物に実肘木がなく、通し肘木となっています。
側面の入母屋破風。
破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。
妻飾りは大瓶束と蟇股が使われています。
本堂向かって右(境内北)には庫裏があり、こちらは本堂周辺とは別の内堀で囲われています。
経蔵と鐘楼
本堂向かって左には経蔵と鐘楼があります。両者とも市指定文化財。
こちらは経蔵。宝形、桟瓦葺。
1823年(文政六年)造営。
壁面はしっくい塗り。腰壁はなまこ壁。軒裏は二軒まばら垂木。
内部には経典が収められ、パンフレットによると輪蔵(回転式のもの)ではなく書棚の形式になっているとのこと。
鐘楼は、入母屋、本瓦葺。
1703年(元禄十六年)造営。
主柱は円柱。その脇に細い控柱(角柱)が立てられ、つごう12本の柱が使われています。パンフレットによると、格の高い寺院に使われる形式らしいです。
主柱には唐獅子の木鼻がついています。
柱上の組物は出組。台輪の上の中備えは、蟇股と組物。
軒裏は二軒繁垂木。
以上、本證寺でした。
(訪問日2022/05/02)