今回は山梨県甲州市の神部神社(かんべ-)について。
神部神社は甲州市の山際の集落に鎮座しています。
創建は平安期にさかのぼり、『延喜式』にも記載がある式内社です。境内は至って標準的な内容ですが、江戸中期の造営とされる本殿は檜皮葺が維持されています。
現地情報
所在地 | 〒409-1211山梨県甲州市塩山上萩原1415(地図) |
アクセス | 塩山駅から徒歩1時間 勝沼ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
神部神社の境内は北西向き。
入口の鳥居は石造の明神鳥居。貫が曲がってしまっています。扁額は判読できず。
手水舎は桟瓦葺の切妻。
随神門
鳥居の先には随神門があります。
随神門は鉄板葺の切妻で、正面3間・側面2間。柱は円柱。三間一戸で、正面側の1間は吹き放ち。
案内板(甲州市教育委員会)によると、1571年(元亀二年)のものと思われるとのこと。
中央部にはしめ縄がかけられています。扁額は「正一位岩間大明神」。その左右の欄間には武田菱の紋がついています。
柱上の組物は出三斗(でみつど)。頭貫には木鼻がつけられています。
軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。
妻壁。
中央の柱は棟まで通っており、そこから左右に海老虹梁(えびこうりょう)がわたされています。案内板によるとここは禅宗様の構造とのこと。
破風板の拝みからは、彫刻のついた懸魚(げぎょ)が垂れ下がっています。
拝殿
石段を登った先には拝殿があります。
拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)。向拝なし。
大棟には武田菱が描かれています。
軒下は、天井を軒先まで伸ばした構造になっています。
ほか、とくに目立った意匠はありません。
扁額は「神部神社」。
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。
一間社流造、檜皮葺。
造営年代は1711年(正徳元年)と考えられています。案内板(甲州市教育委員会)によると下記のとおり。
昭和四十九年に解体修理が行われ、棟札銘が発見された。それによると元亀二年(1571)の造営で、地頭土屋右衛門尉昌続と代官羽中田新兵衛、さらに神戸(ごうど)氏子の共同造営である。棟札は他に寛永二十一年(1644)、正徳元年(1711)、享保十年(1725)のものがあり、現本殿の特徴と棟札の年号を併せみると、元亀二年の遺構ではなく、正徳元年に再建された本殿と考えられる。
祭神は、イザナギが黄泉から戻って禊ぎをしたときに生まれた祓戸大神(はらえどのおおかみ)とのこと。
正面の軒先を支える向拝柱は、C面取りされた角柱。C面の幅が若干ですが広めで、ここはやや古風。
2つの向拝柱は虹梁(こうりょう)でつながれ、その上の中備えには内部が彫刻された蟇股(かえるまた)が見えます。虹梁の両端には唐獅子の彫刻された木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗と連三斗(つれみつど)を組み合わせたもので、よく見ると唐獅子の木鼻の上に皿付きの斗(ます)がのっていて連三斗を受けています。
向拝(左)と母屋(右)。ふつうの神社本殿は向拝と母屋を海老虹梁でつなぎますが、この本殿にはつなぎの梁がありません。
母屋柱は円柱で、柱上の組物は二手先。組物によって持出しされた梁・桁の下には軒支輪と巻斗(まきと)が並んだ様子が見えます。
二手先に持出された妻虹梁の上には、大瓶束(たいへいづか)が立てられて棟を受けています。
大瓶束の両脇に笈形(おいがた)などの装飾はなく、壁板が縦方向に貼られているだけ。
組物のあいだには蟇股が置かれており、組物の下の頭貫には木鼻がついています。
破風板から下がる懸魚は、写真左のものは黒ずんでいるのに対し、写真右のものは色が白く造形も良いです。
背面。縁側は切目縁(きれめえん)ですが、背面側にはまわされておらず脇障子でふさがれています。
母屋柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜き工作がなされていました。
最後に屋根。
屋根葺きは檜皮(ひわだ)で、式内社にふさわしい風格。
大棟は箱棟になっており、武田菱が描かれています。鬼板の紋は菊。
以上、神部神社でした。
(訪問日2020/05/24)