甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲斐市】山県神社

今回は山梨県甲斐市の山県神社(やまがた-)について。

 

山県神社は甲斐市街の住宅地に鎮座しています。

祭神は当地の出身である儒学者・山県大弍(やまがた だいに)であり、学問の神として信仰されているようです。創建は大正10年で神社として非常に新しいもので、社殿は近代風の神明造の本殿を見ることができます。

 

現地情報

所在地 〒400-0115山梨県甲斐市篠原190(地図)
アクセス 竜王駅から徒歩20分
甲府昭和ICから車で5分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

参道

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境内は南向きで、入口には神明鳥居。社号標は「山神社」で、“県”の旧字体です。

左のほうの案内板にはご利益について書かれており、「合格祈願 学業成就」まではわかるのですが、「交通安全 開運招福 家内安全 商売繁盛」は祭神とあまり関係ない気がします。要するに何でもありなのでしょう...

 

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参道の左側には、鉄板葺の切妻の手水舎。

どういうわけか国登録有形文化財に指定されているようです。

 

山県大弍の墓

参道を進むと、左側には祭神である山県大弍の墓があります。

私は山県大弍について何も知らずにここに来てしまったのですが、案内板に詳細な解説があったので、それをかいつまんだ雑な解説を以下に記します。

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(※画像はWikpediaより引用)

山県大弍(1725-1767)は当地出身の儒学者、思想家(尊王論)。

武田二十四将・山県正景の子孫とされます。甲府藩や岩槻藩(武蔵国)に仕えました。藩士を辞めたあとは江戸で私塾「柳荘」を開き尊王思想を説いたため、明和事件にて幕府への不敬罪で投獄され、死罪となりました。享年43。

代表的な著作は1759年脱稿の『柳子新論』。士農工商による身分制度を批判し、尊王攘夷論を記しました。早い段階から尊王攘夷をとなえたことから、江戸末期の倒幕思想の先駆けになったとされます。

 

神楽殿と拝殿

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参道に戻って拝殿のほうに進むと、参道の右側に神楽殿があります。

神楽殿は鉄板葺の切妻(妻入)で、三方が吹き放ち。神明造を妻入にした感じのつくりです。

壁面に書かれている紋は、桔梗(ききょう)。

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そしてこちらは神楽殿の近くにあった狛犬。

 

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拝殿は鉄板葺の切妻(平入)。屋根の上に千木と鰹木が載っており、後述する神明造の本殿を意識したデザイン。

扁額の字は「山神社」で、こちらの“県”は新字体が使われていました。

 

本殿

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拝殿の裏にまわると、石製の瑞垣に囲われた本殿があります。

本殿は銅板葺の三間社神明造(さんけんしゃ しんめいづくり)。正面3間・側面2間。屋根の上には外削ぎの千木と、7本の鰹木が載っています。

正面の階段は現代的なセメント製で、神社としてかなり残念な造り。本来なら、木製の角材で造るのが正しいです。

全体的に見て、同じ様式である酒折宮の本殿とよく似ていると思います。

 

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側面の柱間は2間。

母屋の室外には棟持柱(むなもちばしら)が立てられており、棟を受けています。これは神明造という様式の大きな特徴の1つ。

縁側は前後左右の四方にまわされており、脇障子はありません。欄干は跳高欄(はねこうらん)。床板は壁面と直交に張った切目縁(きれめえん)。縁側の床下は角柱で支えられています。

 

以上、山県神社でした。

(訪問日2019/11/09)