甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲府市】酒折宮 ~連歌発祥の地~

今回は山梨県のマイナー観光地ということで、甲府市の酒折宮(さかおりみや)について。

 

酒折宮は甲府市東部の市街地に鎮座しています。

『古事記』や『日本書紀』にも記述がある古社であり、それが由来で「連歌発祥の地」とされていて、古今問わず数多くの文化人が訪れた名所となっています。

 

 

現地情報

所在地 〒400-0805山梨県甲府市酒折3-1-13(地図)
アクセス

酒折駅から徒歩5分

甲府昭和ICまたは一宮御坂ICから車で20分

駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約) ※書き置きの御朱印あり
公式サイト 酒折宮公式サイト
所要時間 10分程度

 

境内

参道と連歌碑

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国道411号線(城東通り)にある「酒折宮入口」という信号で北へ曲がり、少し狭い路地を進むと石製の神明鳥居が現れます。

参道は中央本線の線路で分断されています。

 

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参道を進んで神社の敷地内に入ると、左側に連歌碑と千木・鰹木のついた銅板葺の手水舎があります。また、この向かいには社務所があります。

 

連歌とは和歌の形式の1つで、上の句と下の句を別の人が詠むものを言います。武士や文人の一般教養とされていたようですが、現在では下火となっています。

この地を通りかかったヤマトタケルが「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と上の句を詠むと、身分の低い従者だった老人が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」と下の句を続けたというエピソードが連歌発祥の由来とのこと。

なお、連歌碑にはびっしりと漢文が刻まれています。文は本居宣長が、書は平田篤胤が担当したとのこと。wikipediaによるとかの井伏鱒二氏をもってしても読解に四苦八苦する代物のようなので、とても私に解説できる代物ではございません...

 

拝殿と本殿

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拝殿は鉄板葺の切妻。

屋根に千木と鰹木が乗っていて、向拝はありますが向拝柱はなし。神明造を意識したデザインです。なお、大正期の拝殿は入母屋だったようです。

拝殿には特筆するほどの意匠もないので、詳細は割愛いたします。

 

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拝殿の裏に回ると、一段高くなった場所に木製の神明鳥居と本殿が建っています。

本殿は上の写真だとほとんど見えないですが、銅板葺の三間社神明造(さんけんしゃ しんめいづくり)。

神明造という様式の本殿は、明治に入るまでは伊勢神宮の御厨(みくりや)でない土地では造営が許されていません。酒折宮は特に伊勢とは関係ないようなので、この本殿は明治期かそれ以降のものと断定して良いでしょう。

 

本殿の周囲は板塀で囲われていて遠目に眺めることしかできず。仕方がないので、以下ではwikipediaから引用した写真で解説させていただきます。

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神明造なので屋根の上には鰹木がのっており、千木も屋根を突き破るタイプのもの。そして破風板からは鞭懸(むちかけ)という4本の細い棒がつき出ています。

室外には棟持柱(むなもちばしら)という円柱が立てられており、棟を受けています。これも神明造の特徴。

縁側は背面にも回されており、欄干は跳高欄(はねこうらん)。脇障子と昇高欄(のぼりこうらん)はありません。縁側を支える柱はいずれも角柱。

正面にある階段は板で作られた簡易的なもの。本来、神社本殿の階段は角材を並べるのが正式です。

 

全体的に黒ずんでいますが、これは歴史があるからではなく、おそらく経年で黒ずみやすい台檜(台湾産のヒノキ材)を使ったためでしょう。台檜は明治期の神社建築で多用された経緯があるので、ここからもこの本殿の建築年代が明治期以降であることが推測できます。

 

社殿の解説は以上。

本殿は神明造ですがとても歴史のあるものには見えず、率直に言って建築的な見どころはありません。どちらかと言えば、連歌にまつわるエピソードや伝説を楽しむといった感じの場所でしょうか。

 

以上、酒折宮でした。

(訪問日2019/02/23,11/09)

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