今回は山梨県甲斐市の三社神社(さんしゃ-)について。
三社神社は信玄堤の通称で知られる釜無川の堤防の近くに鎮座しています。
川のそばにあることから想像できるように水防の神社であり、創建の起源は平安期にもさかのぼるほどの古社です。境内は小さいものの、江戸時代中期に造られた比較的大きめの本殿を拝むことができます。
現地情報
所在地 | 〒400-0118山梨県甲斐市竜王1888(地図) |
アクセス | 竜王駅または塩崎駅から徒歩30分 双葉スマートICから車で10分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
鳥居と拝殿
境内入口には石製の鳥居が立っています。柱が太く、どっしりとした安定感のあるプロポーション。扁額の字は「三社大明神」。
案内板(甲斐市の設置)によると扁額の裏には1652年の日付が書かれており、これは修理の記録であるため造立はそれより前の安土桃山時代までさかのぼるとのこと。
写真左奥は手水舎。
境内は堤防の斜面にあり、一段高くなった場所に拝殿と本殿があります。
上の写真は拝殿で、鉄板葺の入母屋(平入)。屋根の上には千木が7つ置かれており、千木の間に棒材が渡されています。
拝殿の壁面は四面とも格子戸で、非常に風通しのいい造りになっています。
本殿
拝殿の裏手にはブロック塀で囲われた本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)、正面千鳥破風(ちどりはふ)、向拝は1間で軒唐破風(のき からはふ)付き。母屋は正面3間・側面2間という平面になっています。
案内板(甲斐市教育委員会)によると1686年(貞享三年)に“御旅殿”の名称で建立され、1707年(宝永4年)に三社大明神として改修されていることが棟札よりわかっているとのこと。
御旅殿というと、祭神や御神体を一時的に置いておくための社殿につけられる名前です。
拝殿の前から本殿正面を覗き込んだ図。
三間社なので正面の間口が3つあり、扉も3つあります。
祭神は甲斐国の一宮・二宮・三宮の神がそれぞれ祀られているとのこと。具体的な名前を言うと、一宮は浅間神社(笛吹市)のコノハナノサクヤ、二宮は美和神社(笛吹市)の大物主、三宮は玉諸神社(甲府市)の大国主。
三社神社という社名は、3柱の神を祀ったことに由来するのでしょう。
左側面。
写真右の階段は板を組み合わせたタイプで、神社建築として正式なものではありません。
階段の下から伸びる2本の向拝柱は、通常の面取りがなされていました。向拝柱と母屋は、湾曲した赤い海老虹梁(えびこうりょう)で繋がれています。
写真左の母屋の柱は円柱で、やや退色した赤色。しかし床下を見ると八角形になっており、「床上は円柱だが床下は八角柱」という江戸期の神社建築では定番といえる手抜きがなされています。
円柱の上では平三斗(ひらみつど)というタイプの組物で梁が持出しされています。組物のあいだには黒ずんだ無塗装の蟇股(かえるまた)が配置されており、その上の支輪を受けています。
縁側の床板は、壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。欄干には擬宝珠がついています。写真左端の縁側の終端に立てられた脇障子には彫刻がありますが、題材は特定できず。
背面。
正面3間でしたが背面も3間。
どういうわけか、こちら側は柱の床下が円柱に成形されていました。とはいえ、床下は壁板で塞いであるので、見えない部分はやはり八角になっていると思われます。
全体的に彫刻は少なめで、安土桃山や江戸初期からの流れを感じるやや古風な造り。1707年に改修されて現在に至るようで、時代を考えれば彫刻・装飾が控えめであるのも納得が行きます。
とはいえ、脇障子や向拝には立体的な彫刻が配置されており、江戸後期の彫刻を多用する流れへのつながりを見てとれる箇所もあります。
以上、三社神社でした。
(訪問日2019/11/09)