甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲斐市】三社神社(信玄堤公園)

今回は山梨県甲斐市の三社神社(さんしゃ-)について。

 

三社神社は釜無川東岸の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると825年(天長二年)の大洪水を受けて、国内の一宮(一宮浅間神社)、二宮(美和神社)、三宮(玉諸神社)を当地に祀ったのがはじまりとのこと。なお、『甲斐国志』によれば1557年(弘治三年)に勧請されたとのこと。創建後の詳細な沿革は不明ですが、一宮・二宮・三宮から当社へ神輿を巡行させる祭礼がつづけられ、武田氏も当社を水防の神として崇敬したようです。室町後期には現在の鳥居が立てられ、江戸中期には現在の本殿が造営されています。

現在の社殿は小規模かつ簡素なものですが、鳥居と本殿が市の文化財に指定されています。また、境内西側には信玄堤公園が隣接し、武田信玄によって造られたといわれる堤防や、水防に使われた聖牛を見ることができます。

 

現地情報

所在地 〒400-0118山梨県甲斐市竜王1888(地図)
アクセス 竜王駅または塩崎駅から徒歩30分
双葉スマートICから車で10分
駐車場 信玄堤公園に50台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

鳥居と拝殿

三社神社の境内は南向き。境内は住宅地の生活道路に面していて、境内西側には釜無川の堤防があります。

 

入口には石造明神鳥居。扁額は「三社大明神」。柱が太く、安定感のあるプロポーションです。

案内板*1によると扁額の裏に1652年の日付の銘があるようですが、これは修理時の記録であり、造立は安土桃山時代にさかのぼるとのこと。

 

鳥居をくぐると、左手に手水舎があります。

切妻、鉄板葺。

 

境内は斜面にあり、一段高い区画に拝殿と本殿があります。こちらは拝殿。

入母屋、鉄板葺。

 

屋根の上には千木が7つ置かれ、千木のあいだに棒材(鰹木?)がわたされています。

 

内部はコンクリート製の高床となっています。

壁面は四面とも格子戸で、風通しの良い造り。

 

奥には本殿があり、正面に3組の扉が設けられているのが見えます。

祭神は甲斐国の一宮・二宮・三宮*2が祀られています。おそらくこれが社名の由来でしょう。

 

本殿

拝殿の裏にはブロック塀で囲われた本殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間2間、三間社流造、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

1686年(貞享三年)造営。市指定有形文化財*3

 

附の棟札によると、“御旅殿”*4として1686年に建立され、1707年(宝永4年)の改修で三社大明神(当社の旧称)本殿となったとのこと。屋根は檜皮葺でしたが、1966年の改修で現在の銅板葺に改められました。*5

 

屋根の唐破風と千鳥破風。

千鳥破風の破風板には、雲状の懸魚が下がっています。棟は箱棟になっており、正面に鬼面が掲げられています。

千鳥破風の拝みにも雲状の懸魚があります。破風の内側は木連格子。

 

反対側、左側面(西面)から見た図。

破風板の拝みには、鰭のついた蕪懸魚が下がっています。桁隠しには猪目懸魚。

千鳥破風や母屋の大棟にも、鬼面がついています。

 

向拝柱は面取り角柱。側面に唐獅子の木鼻が付いています。柱上の組物は連三斗。

虹梁中備えは、出三斗が2つ置かれています。

海老虹梁は向拝の桁の高さから出て、凹んだカーブを描いて母屋の頭貫の上に取り付いています。

 

母屋の側面は2間。

母屋柱は円柱。軸部は長押と貫で固定され、頭貫には拳鼻があります。

柱上の組物は出組。実肘木は使われておらず、妻虹梁にくぼみをつけて組物とはめ合わせています。

頭貫の上の中備えは蟇股。彩色されていませんが、波の彫刻が入っています。

妻飾りは大瓶束。束の左右に斜め方向の棒材が添えられ、豕扠首のような外観になっています。

 

背面は3間。柱間は横板壁。

縁側は背面以外の3面にまわされ、背面に脇障子を立てています。縁の下は、板状の持ち送り材で支えています。

 

右側面(東面)の縁側の脇障子を、正面から見た図。

脇障子の羽目には、雲間を飛ぶ竜と思われる彫刻があります。

 

信玄堤公園

三社神社から車道をはさんだ西側には、信玄堤公園(しんげんづつみこうえん)があります。三社神社の敷地ではないですが、当社とかかわりの深い施設のためあわせて紹介。

 

山梨県を代表する大河・釜無川(富士川)は、古来より氾濫をくりかえす暴れ川で、平安時代以降、幾度も治水工事が行われてきました。室町後期から江戸前期にかけての工事により氾濫が減り、この一帯の堤防は江戸後期から「信玄堤」と呼ばれるようになったようです。

なお、武田信玄が釜無川の治水工事を行ったのは史実ですが、川の流路や堤防が現在の形態になったのは江戸時代以降で、いまの信玄堤に信玄の時代のおもかげはほとんど残っていないと思われます。

 

河川敷にはこのような丸太を組んだ構造物が置かれています。こちらは公園の緑地に見本として置かれているもの。

これは聖牛(ひじりうし/せいぎゅう)と呼ばれるものです。川の中に置くことで、水流をゆるやかにして侵食を軽減する効果があり、現代の治水工事でも利用されています。『地方凡例録』(1794年成立)によると、この形式の聖牛を発案したのは武田信玄らしいです。

 

以上、三社神社でした。

(訪問日2019/11/09,2024/03/16)

*1:甲斐市による設置

*2:一宮は浅間神社(笛吹市)のコノハナノサクヤビメ、二宮は美和神社(笛吹市)の大物主、三宮は玉諸神社(甲府市)の大国主

*3:附:棟札6枚

*4:祭事の際に神輿や神体を一時的に置いておく「御旅所」のことと思われる

*5:案内板(甲斐市教育委員会)より