今回は長野県高森町の瑠璃寺(るりじ)について。
瑠璃寺は天竜川段丘の集落に鎮座する天台宗の寺院です。山号は大嶋山。
創建は寺伝によると1112年(天永三年)で、比叡山の観誉僧都による開山とされ、現在地から約2キロメートル北西の山間にある堂所という場所に開かれたようです。観誉僧都の没後は荒廃したようですが、比叡山の宝乗という僧によって現在地に再興されました。1186年に伽藍が再建され、鎌倉時代は幕府の庇護を受けて隆盛しています。
桃山時代には武田氏に庇護されたため甲州征伐で織田氏の攻撃を受けて焼失しましたが、堂所(旧境内)に移転して存続しました。江戸時代には幕府に寺領を安堵され、小笠原氏の援助により伽藍が再建され、1624年(寛永元年)にふたたび現在地へ移転しました。
現在の境内伽藍は江戸中期以降のもので、薬師堂が町の文化財に指定されています。本尊の薬師如来坐像とその脇侍は平安時代の造立と考えられ、国の重要文化財です。ほか、境内には源頼朝の寄進と伝わるサクラが生育し、こちらは県の天然記念物です。
現地情報
所在地 | 〒399-3106長野県下伊那郡高森町大島山812(地図) |
アクセス | 市田駅から徒歩1時間 松川ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 天台宗 瑠璃寺/信州 瑠璃の里 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
薬師堂
瑠璃寺の境内は東向き。境内入口は集落の生活道路に面しています。
境内に生育するサクラは源頼朝の寄進と伝わりますが、現在の木はその子孫の木のようです。長野県の天然記念物に指定されています。
境内の中心部には薬師堂。当寺の本堂に相当する伽藍です。
入母屋造、向拝1間、桟瓦葺。
公式サイトによると1672年の造営。町指定有形文化財。
堂内の薬師如来坐像と脇侍の日光・月光菩薩像は平安後期の作とされ、国の重要文化財です。
向拝は1間。
虹梁には鰐口がかかり、向拝柱から出た斗栱で虹梁両端を持ち送りしています。
向拝柱は面取り角柱。正面には竜、側面には象の木鼻があります。
柱上の組物は、出三斗の上に連三斗を乗せた構造のもの。出三斗の部分の実肘木は通肘木になっており、虹梁中備えの蟇股の上を通っています。
虹梁中備えは蟇股。
彫刻の題材は、竹に虎。
向拝の組物の上では手挟が軒裏を受けています。手挟の彫刻は牡丹。
向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁は、大きくカーブした形状。海老虹梁の向拝側には斗栱が添えられています。
母屋柱は円柱。
軸部は長押と貫で固められ、隅の柱には頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出組。
左側面。
母屋は正面側面ともに3間で、柱間は引き戸と横板壁。
縁側は、欄干のない切目縁が4面にまわされています。
背面の柱間は横板壁。
軒裏は二軒繁垂木。
破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚が下がっています。
懸魚の影になっていますが、妻飾りには虹梁と笈形付き大瓶束が使われているのが見えます。
その他の伽藍
薬師堂の南側には観音堂。
宝形造、向拝1間、鉄板葺。
薬師堂の手前の池の中には境内社が鎮座しています。社名は不明ですが、おそらく弁天社か厳島社かと思います。
一間社入母屋造、向拝1間、鉄板葺。
境内社の近くにはピンピンコロリ地蔵。
地蔵の左にある石碑によると、当地はピンピンコロリ運動の発祥の地とのこと。
境内の東側には本坊。山門と鐘楼があります。
左の石碑は「全性院跡」で、かつては子院や僧房がいくつかあったようです。
日吉神社
薬師堂の北側、境内北西の石垣の上の区画には鎮守社の日吉神社が東面しています。
入口には木造明神鳥居。扁額は「日吉神社」。
拝殿は、切妻造、桟瓦葺。
扁額は「日吉神社」。白い垂れ幕には二葉葵の紋があります。
拝殿の内部には2棟の社殿が並立しています。どちらが日吉神社本殿かは不明。
向かって右の社殿は、一間社流造、こけら葺。
向かって左の社殿は、五間社入母屋造、向拝1間 軒唐破風付、こけら葺。
左の社殿は正面に5組の扉があり、五間社というめずらしい様式です。
虹梁中備えや軒唐破風には彫刻がありますが、薄暗くて詳細な写真が撮れませんでした。
以上、瑠璃寺でした。
(訪問日2024/12/30)