今回は東京都八王子市の龍見寺(りゅうけんじ)と御霊神社(ごりょう-)について。
龍見寺
所在地:〒193-0944東京都八王子市館町1630(地図)
龍見寺(りゅうけんじ)は市南部の住宅地に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は光輝山。
創建や沿革は不明。江戸初期には3代将軍・徳川家光から朱印状を賜ったとのこと。江戸後期に現在の主要な伽藍が再建されています。
境内
龍見寺の境内は南東向き。入口は住宅地の一画にありますが、境内周辺は小山になっていて木が生い茂っています。
大日堂は、桁行3間・梁間3間、宝形、向拝1間、銅板葺。
江戸後期の再建のようです。
向拝は1間。
向拝柱は几帳面取りの角柱。側面に見返り唐獅子の彫刻。
組物は出三斗を2つ重ねたものが使われています。
虹梁中備えは竜の彫刻。
虹梁の唐草には、赤い花の彫刻が入っています。
向拝側面。
向拝柱の上では、板状の手挟が軒裏を受けています。
海老虹梁はなめらかなS字の形状。母屋側は頭貫の位置から出て、向拝側は虹梁の位置まで下りています。
正面中央の柱間には、2つ折れの桟唐戸が立てつけられています。
台輪の上には詰組と蟇股が配されています。
母屋柱は円柱。上端がわずかに絞られています。
頭貫には象鼻。頭貫の上には台輪がまわされています。
組物は出組。中備えは蟇股。
側面は3間。
前方の1間は格子戸、後方の2間は横板壁。
縁側は、切目縁が4面にまわされています。欄干はありません。
背面は3間。
中央の1間は扉があるように見えますが、板でふさがれています。
屋根の頂部には宝珠。
ほか、不動堂の手前には石塔があります。
案内板(ご住職の設置)によると、どちらも室町時代のものとのこと。
以上、龍見寺でした。
御霊神社
所在地:〒193-0944東京都八王子市館町1271(地図)
御霊神社(ごりょう-)は川沿いの住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によると天正年間(1573-1592)。御霊谷戸という場所に、「御霊大明神」として鎌倉権五郎景政が祀られていたのが前身。天正年間に北条氏照の家臣・近藤出羽守助実によって現在地へ移転されたのが当社のはじまりのようです。江戸中期には社殿が再建されています。
境内
御霊神社の境内は東向き。龍見寺の裏山と川に挟まれた住宅地の一画に、境内があります。
境内北側は川沿いの歩道が整備されていて、地域住人の憩いの散歩道といった趣。
入口の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「御霊神社」。
参道右手(北側)には神楽殿。
入母屋、銅板葺。
柱間はシャッターで閉ざされています。
参道左手には手水舎。
切妻、銅板葺。
柱は面取り角柱。木鼻には独特な繰形が彫られています。
柱上は大斗と舟肘木。
破風板の拝みには梅鉢懸魚。
拝殿は、入母屋、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
向拝柱は几帳面取り。正面と側面に拳鼻。
虹梁の中備えは組物と蟇股。
中備えの組物は、向拝柱上の組物と肘木を共有しています。
蟇股のはらわたの彫刻は、植物の葉のような意匠。良い造形だと思います。
その上の妻飾りは、笈形付き大瓶束。
鈴が吊るされていますが、感染症対策のため、鈴を鳴らす綱が取り外されています。おかげで蟇股の観察がしやすいです。
唐破風の拝みには兎毛通。
破風板は金具で飾られています。
破風板や鬼板の金具の家紋は、矢羽を左右に2つ並べたもの。
拝殿側面は写真を摂り忘れてしまったため割愛。
拝殿後方には、本殿の覆い屋と思われる社殿があります。
切妻、銅板葺。
大棟には千木と鰹木。千木は外削ぎで、長方形の風穴が開いています。
背面。
縁側の床下は腰組で支えられています。背面側には脇障子が立てられています。
祭神は鎌倉景正(かまくら かげまさ、景政とも書く)。鎌倉景正は平安時代後期の武士で、通称は権五郎(ごんごろう)。
後三年の役(1083-1087)で源義家に従って軍を率い、右目に流れ矢をうけながらも果敢に奮戦し、敵を切り伏せながら倒れたという逸話で知られています。境内案内板によると、当社の境内(おそらく遷座前の場所)でくつわ虫の音に聴き入っていたところ、矢を受けたらしいです。
拝殿の南側には力石。
大中小と並んでおり、左から210kg、130kg、70kgとのこと。
力石にしては球形に近いととのった形をしていて、私には山梨名物(?)の丸石神にも見えます。
以上、御霊神社でした。
(訪問日2022/03/12)