今回は山梨県上野原市の軍刀利神社(ぐんだり-)について。
軍刀利神社は山梨・神奈川の県境に近い山間に鎮座しています。
独特な社名もさるものながら、純粋に雰囲気や見栄えの良い神社で、とくに本殿は白木の彫刻がびっしりと配置されていて見ごたえがあります。
現地情報
所在地 | 〒409-0111山梨県上野原市棡原4134(地図) |
アクセス | 上野原ICから車で15分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
軍刀利神社の境内は川沿いの林道にあり、鳥居や社殿は南西向き。
境内入口の鳥居は両部鳥居で、笠木が円柱になったタイプのもの。
道幅が狭いですが路面は舗装されており、この先にある社務所の隣に駐車場があります。
林道を進んで社務所の前を過ぎると、軍刀利神社の社殿へつづく石段が現れます。
石段の右にある入母屋の手水舎は、冬季(1月末)でもしっかりと水が出ており、水を出す樋も色鮮やかな青竹が使われていて非常によく手入れされている様子。
石段はうっすらとコケに覆われ、その両脇にはヒノキの大木が立っていて、なかなか雰囲気のある参道になっています。
なお、石段は不揃いでたまに浮き石があり、濡れていると滑るので注意。
拝殿
石段を登った先には拝殿があります。拝殿の後方の屋根は、本殿の覆い。
拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)、向拝1間。
向拝の軒下。
向拝柱をつなぐ虹梁(こうりょう)には植物のツルのような意匠が彫られ、両端には波の意匠の木鼻。中備えには蟇股(かえるまた)。
屋根裏は一重のまばら垂木。白い垂れ幕の紋は五三の桐。
拝殿の右手には休憩所のような小屋があり、軒下には巨大な木刀が奉納されています。
軍刀利(ぐんだり)という変わった社名ですが、仏教では軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)という仏がいます。手水舎の近くにあった案内板(設置者不明)いわく祭神はヤマトタケルだが『甲斐国誌』(1814年成立)に“軍荼利夜叉明王社棡原村井戸鎮守”と記述されているとのこと。
これは私の想像になりますが、もともとは神仏習合の色が強かったが神仏分離によってヤマトタケルをメインに祀る純粋な神社に変わったのではないでしょうか。ヤマトタケルというと三種の神器である草薙剣(くさなぎのつるぎ 雨叢雲剣ともいう)の伝説があり、絵や像では刀を持っていることが多いので、社名が「軍荼利→軍刀利」に変わったり木刀が奉納されたりするのと関係がありそうです。
本殿
拝殿の裏には塀と覆いのついた本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の一間社入母屋(いっけんしゃ いりもや)、平入。向唐破風の向拝1間。
造営年代は不明ですが、彫刻まみれの外観からして江戸後期以降のものとみていいでしょう。
祭神は前述のとおりヤマトタケル。
右前方から見た図。
正面には板戸が1組。その上に扁額がかかっていますが、退色のため判読できず。
扉の両脇や母屋の側面にまで彫刻が配置されており、組物も複雑なため非常に情報量の多い一品となっております。
向拝を左側面から見上げた図。
写真中央の向拝柱は角柱。その正面と側面には、唐獅子と麒麟が彫刻された木鼻が付けられています。向拝柱と母屋は、波の意匠が彫られた海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。
向拝柱の上方では、三手先の大がかりな組物が唐破風を受けています。組物が派手なので手挟はほとんど目立ちません。
左側面の妻壁。
組物からは尾垂木が斜めに突き出ており、三手先の出組で梁と桁が持出しされています。
組物はただでさえ複雑なのに、貫の中間の柱のない場所にも組物が配置されており(詰組という)、その複雑さに拍車をかけています。なお、詰組は本来なら神社には使われない禅宗様の意匠なのですが、山梨県内では神社本殿に詰組が使われる例が珍しくありません。
左後方から見た背面。
正面と左右側面は彫刻でびっしりでしたが、こちらには彫刻がありません。正面・側面ともに彫刻や組物にまみれていたので、あっさりした背面側は逆に新鮮です。考えようによっては、この本殿を鑑賞するうえでの箸休め的な癒しスポットととらえることもできるでしょう。
縁側は前後左右の4面にまわされており、床板は壁面と直交する切目縁。欄干は擬宝珠付き。脇障子がありますが、向かって左(写真では右)の縁側の脇障子は板が欠損してしまっています。
左後方の床下。
縁側は三手先の組物で支えられており、母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」となっています。
建立してしばらくは覆いが無かったのか、縁側や側面の彫刻にはコケが生えかけており、右後方の縁側が若干ながら垂れてきています。
以上、軍刀利神社でした。
(訪問日2020/01/24)