今回は山梨県上野原市上野原の諏訪神社(すわ-)について。
諏訪神社(上野原)は上野原市街の南部に鎮座しています。
案内板によると平安時代あたりからの歴史があるようで、戦国時代には武田信玄がこの神社に立ち寄ったこともあるとのこと。社殿は本殿が江戸初期から中期にかけてのもので、細部にちょっと変わった意匠があるおかげで個性的な本殿になっています。
現地情報
所在地 | 〒409-0112山梨県上野原市上野原210(地図) |
アクセス | 上野原駅から徒歩30分 上野原ICから車で3分 |
駐車場 | 3台 |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
鳥居と拝殿
諏訪神社の境内は南西向き。
入口の鳥居は赤い両部鳥居で、笠木と前後の柱には屋根がついています。扁額は「諏訪神社」。
拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)で、軒唐破風の向拝1間。母屋は円柱、向拝は角柱。
向拝の軒唐破風(のき からはふ)の上に置かれている鬼板には、諏訪神社であることを示す梶の葉の紋が描かれています。
破風板の中央から垂れ下がる兎毛通(うのけどおし)は鳳凰と思しき彫刻。
なお、虹梁に掲げられた扁額には「古郡神社」(ふるごおり-)とありました。
案内板(設置者不明)によるとこれは創建時の社名で、鎌倉期に大覚禅師(鎌倉の建長寺を開山した僧の1人)がこの地を訪れた際、諏訪大社から祭神を勧請して「古郡神社諏訪大明神」と称したとのこと。
向拝の角柱は、中央側に首を少し曲げた唐獅子、側面に獏(あるいは麒麟?)の彫刻された木鼻がついています。
左端に見切れている虹梁の中備えは、扁額がかかっているため彫刻はなし。
拝殿正面左側の母屋の軒下。
屋根裏の垂木はまばらですが二重で、二軒(ふたのき)。貫の木鼻には象っぽいシルエットの木鼻がついています。
屋根裏から垂れ下がっている金属の棒は、跳ね上げた蔀(しとみ)を吊るすためのもの。雨戸の向こうが蔀の格子戸になっているか、もともとは蔀だったなごりのどちらかでしょう。
本殿
拝殿の後ろには塀に囲われた本殿が鎮座しています。屋根や壁面など全体的に赤を多用した彩色。
本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
正面の扉の上の扁額には「諏訪大明神」とありました。
案内板(設置者不明)によると本殿については下記のとおりで、要約すると江戸初期から中期の造営と考えられます。
慶長九年(1604)に本殿が修復され、その後幾度も改修改築され現在の御社は棟札から寛文十年(1671)及び享保二十一年(1737)に修復されたものが元と伺われる。
祭神はタケミナカタ。たいていは武神として扱われますが、なぜか縁結びと子宝の神として崇拝されているらしいです。ほか、“犬神様(犬島明神)”なるものも祀っているとのこと。
向拝の軒下。
向拝柱には彫刻がありますが、拝殿と本殿をつなぐ通路の屋根のせいでよく見えず。
向拝と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれています。その上方では白く塗装された手挟(たばさみ)が垂木を受けています。手挟の彫刻は菊水でしょうか。
右側面の壁面。
貫の上には蟇股(かえるまた)が置かれていますが、題材は不明。
組物は三手先の複雑な出組で、先端が黒く塗られた尾垂木が突き出ています。
この本殿でとくに印象的なのが、梁の上に立っている鬼(力神)。組物で持ち出された梁の中央に、束のかわりのような感じで立てられており、頭の上には組物の斗(ます)が乗っています。
挙げた両手が「お留守」になっていて、もともと別の場所に使われていたか、あるいは頭の上に別の部材(肘木や桁?)が乗せられていたのではないかと思います。
屋根は大棟から垂木にいたるまでほぼ全てが赤色で統一。
鬼板には甲州の神社でよくある鬼面がついていますが、屋根も鬼面も赤色なので保護色のように目立ちません。
赤色ばかりの少々くどい配色のなか、懸魚についている六角形の金具だけは黄色で、印象的なワンポイントとなっています。
右後方から見た図。
正面は1間ですが、背面は中央に円柱が1本追加されていて2間となっています。
縁側は前後左右の4面に回されており、背面をふさぐ脇障子がありますが左右とも板がなくなって枠だけの状態。縁側の欄干は擬宝珠つきで、床はおそらくくれ縁。縁の下は三手先の組物で支えられています。
柱を観察すると、「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜き工作がなされていました。
以上、諏訪神社(上野原)でした。
(訪問日2020/01/24)