今回は神奈川県相模原市緑区佐野川(さのがわ)の石楯尾神社(いわたてお-)について。
石楯尾神社は山梨・神奈川の県境に鎮座しています。
同市の名倉権現こと石楯尾神社(いわたておの-)と同様に延喜式内社の可能性がある論社のひとつで、境内では江戸期に造営された独特な社殿を見ることができます。
現地情報
所在地 | 〒252-0181神奈川県相模原市緑区佐野川3448(地図) |
アクセス | 上の原ICから車で15分 |
駐車場 | 3台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と神楽殿
境内入口の右手には鉄板葺の入母屋の手水舎があり、冬季ですがしっかりと水が出ていました。
鳥居は笠木が円柱になったタイプの神明鳥居。境内は南向きです。
鳥居をくぐってすぐの場所に立っているこちらの建物が、この石楯尾神社のどころの1つ。門のようなシルエットをしていますがこれは神楽殿です。
神楽殿は鉄板葺の寄棟(平入)。上の写真は背面側になります。
藤野町(現 相模原市)教育委員会の案内板によると1845年(弘化2年)の建立で、祭事のときは中央の通路を厚板で覆って舞台にできるという工夫が凝らされているとのこと。
「通路をふさいでしまったら、せっかくのお祭りなのに境内に出入りできないのでは...?」と疑問に感じましたが、後述の拝殿の向かって左側に車1台が通れるくらいの通路がありました。
反対側にある拝殿の前から神楽殿を見た図。
規模や細部意匠などは至って標準的なのですが、このように中央に通路がある神楽殿はほかに見たことがないです。
これに似た仕掛けがある神社というと十五社神社(岡谷市今井)がありますが、そちらは舞屋(神楽殿)の“床下をくぐる”といった感じなのでこれとはちがいます。あと、中央が通路になった社殿というと割拝殿(わりはいでん)というタイプのものがありますが、東日本ではほとんど例がありません。
いずれにせよ、この神楽殿は珍しい構造のものといえます。
拝殿と本殿
拝殿は鉄板葺の入母屋。向拝1間。昭和期のものとのこと。
屋根裏は一重のまばら垂木。向拝の虹梁の中央には蟇股(かえるまた)が置かれ、両端の側面に木鼻が付けられています。
大棟に描かれた紋は三つ巴。
拝殿の裏にある本殿(?)は、「なんだこれ...」と困惑すること請け負いの奇妙な代物。
屋根は直線的な切妻(平入)。垂木は一重で、拝殿以上にまばらです。柱はいずれも角柱。右のほうの向拝には木鼻や出三斗が使われていますが、母屋はシンプルな舟肘木しかつかわれていません。
境内入口にある写真付きの案内板(藤野北部地域観光振興推進協議会)によるとこれが本殿らしいですが、どこを見ても本殿とは思えない造りをしています。
案内板(藤野町教育委員会)によると本殿棟札に1836年(天保7年)とあり、“室町時代の建築様式をよく伝えており建築史上貴重なものである”とのこと。
そしてwikipediaによると本殿の様式はまさかの八幡造(はちまんづくり)とのこと。八幡造というのは平入の切妻を前後に2つくっつけた建築様式なので、上の写真とは合致しません。
wikipediaがまちがっているか、この社殿は本殿そのものではなくて内部に本殿が収められているかのどちらかと思われます。
祭神については、市内にある同名の神社群と同様で神武天皇。本来は巨石を祀っていたとのことで、この辺は名倉権現の石楯尾神社と似ています。
そしてこちらの石楯尾神社も他と同様に式内社を主張していて、案内板(藤野町教育委員会)の文末に“延喜式に誌されている相模の国の式内社十三社のうち、石楯尾神社は本社ではないかと言われている”と書かれています。wikipediaに書こうものなら“言われている”のところに「誰によって?」の要出典がつけられそうなお茶を濁した表現ですね...
境内については以上。
この神社が本当に式内社かどうかはなんとも言えないところですが、社殿はこの近辺で類例のない独特な造りであるのは確かです。
石楯尾神社から県境を越えて山梨県に入るとすぐ近くに軍刀利神社があるので、こちらとあわせて見て行くのがおすすめ。
以上、石楯尾神社(佐野川)でした。
(訪問日2020/01/24)