今回は長野県松本市の都波岐神社(つばき-)について。
都波岐神社は塩尻との境界に近い市街地に鎮座しています。
境内には案内板の類が一切なく由緒や造営年などの詳細は不明ですが、社殿や参道の雰囲気はまずまずの内容となっています。
現地情報
所在地 | 〒399-0038長野県松本市小屋南1-43(地図) |
アクセス |
村井駅から徒歩10分 塩尻北ICから車で5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝所
都波岐神社の境内は東向き。入口には赤い両部鳥居が立っており、扁額は「都波岐神社」。
境内と社叢はそれなりの広さがあり、マツ並木の茂る参道が50メートルくらい続きます。
そしてこちらが拝殿...ではなく拝所。
拝所の屋根は銅板葺で向唐破風(むこうからはふ)の唐門。その両脇から伸びる塀が、後方の本殿を囲っています。
よく見るとこの拝所の唐門は、他では見かけないおもしろい造りをしています。
しめ縄のかかった黒い梁の上には、短い大瓶束(たいへいづか)が立てられています。梁にはみ出た結綿(ゆいわた)の意匠もなかなか凝っています。
大瓶束の中間からは左右に肘木が出ており、その肘木の上の組物が海老虹梁(えびこうりょう)を受けています。
寺社建築を見慣れた人ならすぐに気付くと思いますが、そもそも海老虹梁は母屋と向拝をつなぐ箇所につかう部材であり、こんな風に左右に渡して妻壁に使うことはあまりないです。
本殿
拝所と塀の向こうには本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
案内板などは一切なく、造営年代は不明ですがおそらく江戸中期以降のもの。
祭神は、長野県神社庁のサイトによるとサルタヒコとウズメのようです。サイトの由緒書きは下記のとおり。
創立年月日不詳なるも社説によれば、往古此地方は伊勢神宮の神領にて御厨を置かれしより、此の處に伊勢国一の宮都波岐神社の御分霊を勧請
(以下略)
つまるところ、三重県鈴鹿市の都波岐神社(あるいは椿大神社)の分社だということしか判っていないようです。
あと、“伊勢神宮の神領にて御厨を置かれしより”というのなら、同様の由緒がある仁科神明宮や麻績神明宮みたいにアマテラス(伊勢神宮の祭神)を祀るのが道理だと思うのですが、なぜ都波岐神社のほうを祀ったのか今ひとつ納得いきません。
正面の向拝。
虹梁の右半分が木の枝に隠れて見えないですが、虹梁の両端の木鼻は唐獅子と象。虹梁の中央にはやや古風な蟇股(かえるまた)が中備えとして置かれていました。
唐獅子と象の上で桁を受ける組物は出三斗。
右側面の妻壁。
母屋の柱は円柱。頭貫の木鼻は拳鼻。頭貫の上にはシンプルな蟇股が置かれています。
柱の上の組物によって虹梁が一手先に持出しされており、虹梁の下には波の意匠の欄間、虹梁の上には笈形(おいがた)のついた大瓶束が棟を受けています。
ほとんど見切れてしまっていますが、破風板に桁隠しはついていません。
右後方から見た背面。
背面にも蟇股がありますが、その他の意匠はほぼ無し。母屋の円柱は床下が八角柱になっていました。
縁側は正面と左右の計3面にまわされており、脇障子には彫刻なし。欄干は擬宝珠付きで、縁側の床はおそらく切目縁。
社殿の解説は以上。
本殿の規模や意匠はとくだん真新しいものはなく、分相応といったところ。とはいえ、拝殿がないというのはちょっと珍しいですし、拝殿のかわりの拝所はよく見ると意匠が凝っています。
平坦な市街地にあって駅から近いので、軽い散歩の気分で参拝できる神社です。
以上、都波岐神社でした。
(訪問日2020/01/11)