今回は長野県松本市の松本神社と鹽竈神社について。
松本神社
松本神社(まつもと-)は松本城の堀の北側に鎮座しています。
創建は江戸中期の1726年であまり歴史はないですが、松本城主の戸田氏の一族などを祭っており、松本城および松本藩と関わりの深い神社となっています。
現地情報
〒390-0873長野県松本市丸の内10-37(地図)
・社務所なし、駐車場なし
境内
松本神社の境内入口。
境内は南向きで、入口の前を横切る通りからは松本城の天守閣を見ることもできます。
門は桟瓦葺の切妻(平入)で、正面1間・側面1間。柱は角柱。
門の内部には、虹梁(こうりょう)、蟇股(かえるまた)、組物などの意匠が見られます。
門をくぐると、鳥居と拝殿、そして右手に手水舎があります。左奥は摂社・若宮八幡社の拝殿。
松本神社の拝殿は桟瓦葺の切妻(平入)、正面に千鳥破風(ちどりはふ)。向拝なし。
拝殿にかかっている幕には三つ葉葵。これは戸田氏の家紋です。
拝殿の裏には本殿がありますが、松本神社本殿は2棟が並んで建っています。
こちらは右側(東側)の本殿。銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
案内板を見ても造営年代が明記されていないですが、由緒書きとこの本殿の作風からして江戸中期あたりのものと見ていいでしょう。
写真左の向拝柱と、右の母屋をつなぐ梁がないのが特徴的。
向拝柱の上ではシンプルな手挟(たばさみ)が垂木を受けています。母屋では連三斗(つれみつど)の組物で持ち出された梁の上で、笈形(おいがた)のついた大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。
そしてこちらが左側(西側)の本殿。銅板葺の一間社流造。
右側の本殿と酷似した造りですが、破風板(はふいた)についている桁隠しの懸魚の意匠がちがっています。
ほか、蟇股の意匠もちがううえ、手挟や蟇股の造形はこちらのほうが凝っています。
なお、どちらの本殿も背面の柱を見ると「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜きがなされていました。
2つの本殿の向かって左(西側)には摂社の若宮八幡宮があります。
こちらは宝暦年間(1751-1764)の造営。“松本城の開祖・島立右近貞長(八幡)を祀った”とのこと。
様式は、銅板葺の一間社流造。
この本殿は前述の2棟とちがって白い塗料が使われています。そのほか、虹梁があり、組物は出三斗(でみつど)で、蟇股や破風板の桁隠しがない点が特徴。どちらかというと、こちらのほうがシンプルな造りをしていると思います。
以上、松本神社でした。
鹽竈神社
鹽竈神社(しおがま-)は松本市街北部の斜面の住宅地に鎮座しており、塩釜神社とも表記します。
文字どおり宮城県塩釜市の奥州一宮・鹽竈神社の分社で、“勧進年月日は不詳(江戸時代初期と推定される”とのこと。ですが、諏訪系の神も合祀されている様子です。
現地情報
〒390-0861長野県松本市蟻ケ崎1-7-1(地図)
・社務所あり、駐車場なし
境内
鹽竈神社は南向きで、境内は瑞垣に囲われています。ケヤキの大木が高々と伸びており、少し離れた場所からでも社叢がわかります。
旗竿立てと松の木に隠れてしまっていますが、鳥居の右手には手水舎があります。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)。向拝1間。
訪問時は小正月の直前だったためか、紅白幕がつけられたままでした。
向拝にかかっている紫の幕には、鹽竈神社の桜の紋だけでなく、諏訪梶も描かれています。大棟には、諏訪梶だけが描かれています。
拝殿の裏手には、塀に囲われた本殿があります。本殿は銅板葺の一間社流造。
紫の幕には、桜の紋だけが描かれていました。
案内板(白板地区史跡研究会)によると、江戸中期の1768年の造営とのこと。
近づいて細部を見てみると、非常にシンプルな外観をしています。
目立つ意匠というと、懸魚、大瓶束、虹梁、海老虹梁くらい。このほかは特に装飾らしい意匠が見られません。
海老虹梁の右上に配置されている手挟は恐ろしいほどプレーンな造りで、組物も舟肘木(っぽいもの)が使われているだけ。
床下。母屋の柱は、やはり床下だけ八角柱です。
縁側が正面にだけあり、見世棚造のような造りをしています。しかし正面には角材を並べた階段(木階:きざはし)があります。
以上、鹽竈神社でした。
(訪問日2020/01/11)