甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【市川三郷町】表門神社

今回は山梨県市川三郷町の表門神社(うわと-)について。

 

表門神社は町の東部の住宅地に鎮座しています。別名は御崎神社あるいは市川文珠。

創建は社伝によると孝霊天皇(7代天皇)の時代で、上戸村という場所に鎮座していたのが社名の由来のようです。式内論社のひとつで、平安後期には白河天皇の勅願所になったとのこと。

境内には大規模な三間社の本殿があり、江戸初期から中期にかけての作風がよくあらわれた貴重な物件となっています。

 

現地情報

所在地 〒409-3612山梨県西八代郡市川三郷町上野2767-1(地図)
アクセス 芦川駅から徒歩5分
増穂ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

随神門

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表門神社の入口は北西向き。地区の幹線となる県道に面しています。

後述の社殿は南西向き。

 

社号標は「市川文珠 表門神社」。

鳥居は木造の両部鳥居。柱はいずれも内に転びがついています。扁額は「表門神社」。

 

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鳥居をくぐって社頭へ進むと参道が左へ90度折れ、丹塗りの随神門があります。

三間一戸、八脚門、切妻、銅板葺。

案内板(三珠町教育委員会)によると1695年(元禄八年)造営

 

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柱はいずれも角柱。壁板は縦方向に張られています。組物は舟肘木だけが使われています。

母屋の左右には切妻、銅板葺の袖塀。

 

神楽殿と拝殿

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随神門の先には神楽殿。

切妻(妻入)、銅板葺。

随神門と同様、1695年の造営。旧三珠町指定文化財。

 

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柱は角面取り。柱上の出三斗は赤・白・黒で塗り分けられており、安土桃山期のものに近い作風。

水引虹梁は側面にのみわたされています。中備えは平三斗。

木鼻は正面側と背面側につけられています。

 

案内板の解説は下記のとおり。

 本殿と同じく元禄八年の造立である。この時に今も残る拝殿・随神門・鳥居も一緒に建てられており、境内の景観を一新したものと思われる。

 正面1間、側面1間、切妻造檜皮葺(現在銅板葺)のこの建物は木鼻の渦紋や形態をみると本殿と同一であり、同時期の建物であることがはっきりわかる。

三珠町教育委員会 

 

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拝殿は入母屋、銅板葺。

造営年代は神楽殿や随神門と同様。

大型の拝殿ですが軒下に目立った意匠はありません。

 

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妻壁は二重虹梁。蟇股、間斗束、豕扠首が使われています。

破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。

 

本殿

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拝殿後方には塀に囲われた本殿が鎮座しています。

祭神はアマテラス、ウカノミタマ、ニニギ。

 

様式は桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。

1695年建立。解説は下記のとおり。

 『甲斐国志』には、永保年間(1081~4)を初めとして数回の造営記録があるが、現在の建物は棟札によって元禄八年(1695)の建立であることがはっきりしている。

 本殿は三間社流造で、今は銅板で覆われているが当初は檜皮葺である。蟇股・脇障子・手挟等に獅子・鶴・鳳凰等の動物の彫刻が精巧に施されたうえ彩色がなされ、正面扉には金箔が貼られている。

 棟札には大工の名、石川久左衛門家久及び良重と記されており、下山大工の作であることが知られる。

 文化十五年(1818)に屋根替が行われているが、他に大きな改変部分はなく、当初の形体をよく残した江戸中期を代表する建造物である。

三珠町教育委員会

 

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向拝柱は角面取りで、C面が広めでやや古風。柱上の連三斗は彩色の跡があり、これもまた古風。

側面には唐獅子の彫刻がついており、ここに白木の彫刻を使うのは江戸中期らしい作風。

向拝柱のとなりには後補のつっかい棒が設けられています。

 

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向拝柱と母屋は海老虹梁でつながれています。内側の2本の柱には海老虹梁がなく、かわりに手挟が設けられています。

海老虹梁は向拝側が組物の上、母屋側も組物の上に取りついており、軒裏すれすれの高い場所を通っています。

母屋正面には、赤い枠に囲われた金箔の板戸が3組。

 

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縁側は切目縁が3面にまわされています。欄干は跳高欄。

背面をふさぐ脇障子には彫刻があり、雲間を飛ぶ竜が彫られています。江戸の前半の作なので、造形は粗さが否めません。

 

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頭貫の木鼻は拳鼻。彩色が落ちてしまっていますが、案内板で言及があったように神楽殿のものと形状や繰型が似ています。

組物は出組。妻虹梁の下には軒支輪。

中備えは蟇股。はらわたには花鳥の彫刻。

妻虹梁には唐草が彫られ、妻飾りは豕扠首。豕扠首のあいだには白い渦状の意匠が彫られています。

破風板の拝みと桁隠しには、鰭のついた猪目懸魚。

 

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三間社なので背面も3間。

各所の意匠は側面と同様。

母屋柱は床下まで円柱に成形されていました。

 

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左側面(北西面)。

屋根や破風板が「へ」の字を描いた端正で混じり気のない流造。

寺社建築にとってひとつの過渡期である江戸初期~中期の特色を各所の意匠に見てとることができ、見ごたえのある本殿です。

 

境内社

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本殿の向かって右隣には名称不明の境内社。

一間社流造、鉄板葺。

造営年は不明ですが、本殿より後のものと思われます。

 

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向拝柱は角面取り。木鼻は象鼻。柱上には皿付きの連三斗。

虹梁中備えの蟇股ははらわた部分が一部欠損しています。

 

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手挟は籠彫りの菊。ここは江戸中期から後期の作風に見えます。

海老虹梁はありません。

 

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頭貫木鼻は拳鼻。本殿のものとは形状が異なります。

中備えは蟇股。はらわたに竜の彫刻。

妻壁は豕扠首と間斗束のハイブリッド的な意匠で、束に結綿がついています。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

以上、表門神社でした。

(訪問日2021/01/30)