今回は山梨県韮崎市の御牧子安神社(みまき こやす-)について。
御牧子安神社は韮崎市北部の集落に鎮座しています。
この地はもともと朝廷に馬を納めていたため御牧の名を冠しているのですが、系統としては諏訪神社で、そこに子安神社を合祀したため御牧子安神社となったようです。
本殿は江戸後期のもので、規模・様式や作風などは時代相応の標準的ながら、甲州らしさが各所に見受けられるものとなっています。
現地情報
所在地 | 〒407-0262山梨県韮崎市中田町中條2795(地図) |
アクセス | 新府駅から徒歩10分 須玉ICまたは韮崎ICから車で10分 |
駐車場 | 3台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
御牧子安神社の境内は東向き。石製の鳥居の扁額は「御牧神社」
鳥居はサイズの割に柱が太めのバランスになっています。
随神門は鉄板葺の切妻(平入)。正面1間・側面2間・背面3間。柱は角柱。
正面側は間口1間で壁もない造りになっています。これは甲府盆地近辺の随神門でよく見かける構造で、この近くだと穂見諏訪十五社神社(北杜市)のものと似ています。
大棟には諏訪梶と武田菱の紋が描かれていました。
参道右側の狛犬。
目と口だけは塗り直しをしているのか、なかなか強烈な顔つきになっています。
参道の右側には神楽殿があります。
神楽殿は鉄板葺の入母屋(平入)で、正面1間・側面1間。柱は角柱。
虹梁や蟇股(かえるまた)、木鼻などに神社建築の意匠が見られ、この規模の神社にしては手の込んだ印象を受けました。
本殿
たいていの神社では本殿の前に拝殿がありますが、御牧子安神社には拝殿がありません。
本殿の前に設けられた拝所で礼拝することになります。
拝所から本殿を覗き込んだ図。
正面には扉が1つあり、一間社であることがわかります。
案内板(中條氏子総代の設置)によると祭神はタケミナカタとその兄・事代主と父・大国主。そこへ昭和時代に子安神社のコノハナノサクヤが合祀されたため、現在の御牧子安神社という社名になったとのこと。
左側から拝所の裏手にまわりこむと、本殿の全貌が見られます。
本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)。1801年(享和元年)に再建されたものとのこと。
棟には諏訪梶と武田菱があり、棟の端の鬼板には彩色された鬼の面が付けられています。大棟の鬼面は甲信地方で広く見られます。
黒い破風板からは懸魚が垂れ下がっています。
棟を受ける笈形(おいがた)は派手に彫刻されたもので、写真では影になっていてわかりにくいですが彫刻は鳳凰が題材と思われます。
笈形の下の虹梁を受けている組物は三手先(みてさき)に持出しされており、こちらも派手な外観となっています。
3つ並んだ組物のうち中央のものは詰組(柱と柱の間に配置した組物のこと)。ふつう詰組は禅宗様の寺院建築でつかうものですが、甲府盆地周辺ではなぜか神社本殿にも詰組を使った例が多々あります。
正面の扉は奥まった場所に立てつけられています。
縁側は前後左右の4面にまわされており、床板は壁面と直交する切目縁(きれめえん)という張りかた。
縁側に立てられている脇障子には、鶴と思しき彫刻が施されていました。
背面から見下ろした図。
写真上端に見切れてしまっていますが、背面にも詰組が使われています。
柱から突き出た木鼻の装飾は、拳鼻(こぶしはな)というシンプルなもの。
縁側の床下は板状の雲のような装飾で支えられています。
最後に、本殿遠景。
以上、御牧子安神社でした。
(訪問日2019/12/14)