今回は山梨県韮崎市の武田八幡宮(たけだはちまんぐう)について。
武田八幡宮は韮崎市の西部の斜面に鎮座しています。
創建は古く平安時代にさかのぼり、石和八幡宮(笛吹市)や大井俣窪八幡神社(山梨市)とならんで甲斐国を代表する八幡宮の1つとなっています。
現在の本殿は室町末期に武田信玄によって再建されたもので、三間社流造として非常に規模が大きく、重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒407-0042山梨県韮崎市神山町1185(地図) |
アクセス | 韮崎駅から徒歩50分 韮崎ICから車で15分 |
駐車場 | 50台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 武田八幡宮 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
国道20号線を曲がって橋を渡り、集落の中に入って行くと両部鳥居が東向きに立っています。
Googleマップによるとこれは二の鳥居のようですが、道中に一の鳥居と思しきものは見当たりませんでした。国道20号線を降りてから何度か道を曲がったので、本来の参道とはちがうルートで来てしまったのかもしれません。
総門
社頭には鳥居と総門(楼門、随神門)が立っています。
鳥居は背が低くて脚が太く、安定感のあるプロポーション。甲府盆地西部ではこういった石鳥居を多く見かけます。
総門は桟瓦葺の入母屋(平入)。正面3間・側面2間・背面3間。柱は角柱。
正面側は壁のない吹き放ち。正面の1間を吹き放ちにした随神門は甲府盆地の周辺でよくあります。
屋根は現代的な桟瓦葺で、神社の屋根としては若干の味気なさが否めません。
総門の1階部分。
この総門は特に文化財指定されていないようですが、木材の劣化の具合からしてそれなりに古そうです。とはいえ、柱の基部はコンクリートで固められていて、ここも少々味気ないです。
総門の内部には賽銭箱が置かれており、門なのにくぐりにくい状態となっています。
石鳥居と総門の向かって左側には、瓦葺の手水舎と社務所があります。
しっかりと水が出ており、紙垂(しで:稲妻形の紙)もきれいで傷みのないものが吊るされているので、手入れがよく行き届いている様子です。
舞殿
総門の脇を過ぎ、ゆるい石段の参道を登ったさきには舞殿があります。
舞殿の梁からはカラフルな紙垂が吊るされており、この様子からして今でも神楽が奉納されているようです。
舞殿を背面から見た図。
舞殿は桟瓦葺の切妻(妻入)で、正面1間・側面2間。柱は角柱、欄干は跳高欄(はねこうらん)。
虹梁(こうりょう)、大瓶束(たいへいづか)、懸魚(げぎょ)といった意匠が確認でき、舞殿としては凝った造りをしています。
拝殿と武田勝頼公夫人願文
舞殿の裏には、武田菱の幕がかけられた拝殿があります。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)。
率直に言って、この拝殿に建築的な見どころはほぼ無いです。
拝殿の隣には武田勝頼公夫人願文の石碑(写真右下)が、後方には本殿(中央)があります
武田勝頼公夫人願文は、織田氏による武田討伐を受けたころの祈願文です。
文の内容は、離反した木曽義昌への非難、離反の鎮圧を織田氏に阻まれた勝頼への戦勝祈願、そして勝頼が外敵(織田氏のこと)を退けることができたなら武田八幡宮に社殿の建立を約束する、といったものです。
文末には“天正十ねん二月十九日 みなもとのかつ頼 うち”と署名があります。なお、韮崎市内にあった新府城の陥落(放棄)は同年3月初頭あたり。そして武田氏滅亡、すなわち勝頼と夫人が自害するのは同年3月11日。つまり、この文書は滅亡のわずか1か月前の、切羽詰まった状況で書かれたものといえます。
武田八幡宮 本殿
拝殿の裏の一段高くなった場所には本殿があります。
桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、檜皮葺。
向拝の柱間は、壁や戸でふさがれています。
造営は室町後期の1541年(天文十年)。武田信玄が父の信虎を国外追放して武田家当主となった直後のものです。安土桃山時代や江戸期に何度か改修を受けているようですが、室町時代の姿をとどめていることから重要文化財に指定されています。
祭神は武田武大神(たけたたけのおおかみ)と、誉田別などの八幡神3柱。つごう4柱が合祀されています。
右側面の妻壁。
円柱の上では一手先の平三斗(ひらみつど)というタイプの組物が梁を持出ししており、虹梁の上ではシンプルで細長い大瓶束が棟を受けています。
案内板(韮崎市・山梨県教育委員会)によると「組物の間には間斗束(けんとづか)」とのことですが、なぜか斗だけあり、肝心の束が見当たりません。
室町時代のものなので装飾の類は見られず、非常に質素な印象。案内板によると壁で塞がれた向拝の内部は彫刻が配置されていて豪華だそうですが、内部拝観はできません。
右側面の縁側。
縁側は背面にまで回されており、縁側は跳高欄(はねこうらん)、床板は壁面と平行に張ったくれ縁。
縁側の終端に立てるはずの脇障子は、壁面の部材が欠落しており、枠だけが残った状態になっています。
若宮八幡神社 本殿
本殿の左側には若宮八幡神社があり、こちらは県指定文化財となっています。
若宮八幡神社本殿は檜皮葺の一間社流造。
側面。
組物は一手先の平三斗。武田八幡宮本殿は組物と虹梁の間は通し肘木でしたが、こちらの本殿は実肘木(さねひじき)を使っており、組物から木鼻がつき出ているなどなど、決定的なちがいが多数あります。
また、虹梁には雲のような渦巻き状の意匠もあり、細部の意匠を見るにこちらのほうが新しい造りと言えます。
案内板によると“桃山末期ごろの優れた姿がのこされている”とのこと。
以上、武田八幡宮でした。
(訪問日2019/12/14)