今回は山梨県北杜市の三島神社(みしま-)について。
三島神社は北杜市南東部の集落に鎮座しています。
文字どおり伊豆国の一宮・三嶋大社から勧進された神社で、室町時代には武田氏からも信仰されたようです。
現在の本殿は江戸後期のものと思われますが、壁面に派手な彫刻を使っており、小規模ながら見栄えのする造りになっています。
現地情報
所在地 | 〒408-0204北杜市明野町上手3109(地図) |
アクセス |
穴山駅から徒歩1時間 須玉ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
三島神社の境内は南向きで、入口の鳥居は石製。
鳥居の扁額は上半分が欠損しており、のこった下半分も判読不能でした。
参道の左手には神楽殿があります。
神楽殿は鉄板葺の入母屋(妻入)。正面1間・側面1間、柱はいずれも角柱。全方向が吹き放ちで、欄干もありません。
大棟の鬼板には武田菱が描かれていました。
拝殿は桟瓦葺の入母屋。
特筆するほどの個所のない現代的な造りで、鬼瓦はやはり武田菱でした。
本殿
拝殿の裏手にまわると、石の瑞垣に囲われた本殿があります。
本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)で、正面に軒唐破風(のき からはふ)付き。
棟に描かれている紋は、武田菱ではなく花菱でした。
造営年代については案内板に記述がなく不明ですが、彫刻の意匠から推測すると、江戸後期かそれ以降のものです。
祭神は三島大社なのでオオヤマツミと事代主と思われます。
この地域は浅間・穂見・諏訪の系統の神社が多く、三島の系統は少数派でほとんど見かけません。
本殿正面の唐破風の部分。
赤い唐破風の中央から垂れる白い懸魚(げぎょ)は、鶴と雲。
ほか、軒下に派手な彫刻が置かれていますが、拝殿と本殿を繋ぐ通路の屋根のせいで詳細を確認できず。
右側面の前方。写真左側が正面になります。
正面の庇を支える柱は角柱。それに対し、写真右のほうの母屋の柱は円柱。庇の角柱と母屋の円柱は、湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。
ちょっと変わっていると思ったのが、黒い破風板から垂れる懸魚。
写真右上に写っている懸魚は黒色で普通の形状をしていますが、写真の中央上部の懸魚(ここの懸魚は桁隠しともいう)は白色で葉っぱのような形状をしています。
このような懸魚のついた社殿は他に見たことがなく、ちょっと個性的だと思いました。
右側面の壁面。
壁面に堂々と配置されている彫刻は「竹林の七賢人」。この写真には2人しか居ませんが、あとの5人は背面と左側面に居ます。
このように彫刻が壁一面を覆っている本殿は、江戸後期から近現代にかけてのものがほとんどです。よって、この本殿も江戸後期以降のものだろうと推測できます。
縁側に立てられた脇障子には、鳥と樹木が彫刻されていました。
背面。
縁側は壁面と直交に床板を張った切目縁(きれめえん)。背面をのぞく3面にまわされています。
縁側の終端をふさぐ脇障子は、床板ほうまでふさぎきれておらず、下に隙間が空いています。ここも少し珍しい造りをしていると思います。
母屋の円柱は、写真では見切れていますが床下まで円柱に成形されていました。
左側面。
こちらにも七賢人のうちの2人が居ます。七賢人の上には波の意匠の彫刻。
波の彫刻の上では、二手先(ふたてさき)の組物で持出しされた赤い虹梁(こうりょう)が渡されています。
虹梁の上は、白い唐獅子の彫刻がついた笈形(おいがた)が棟を受けています。
このように笈形の中央に彫刻を置く例は、私の知る限りでは山梨県北西部あたりでしか見られず、この近辺だと穂見神社(韮崎市穴山)があります。ふつうだったらここは彫刻ではなく束を立てるものです。
写真上端の大棟の鬼板には、文字通り鬼の面がついています。
ここに鬼の面をつける例は甲信地方で広く見受けられ、べつだん珍しいものではありません。
最後に左正面の図。
正面の扉は、少し奥まった場所にあります。
この本殿の棟梁や流派は不明ですが、信州の立川流・大隅流の作風とはおもむきが異なり、甲府盆地の作風が色濃いように感じます。
北杜市は長野県諏訪郡と接していて国道20号(甲州街道)でつながっているものの、そのわりにこの三島神社は信州らしい箇所がとくにないのが意外でした。
境内はあまり大きくなく、村の鎮守といったポジションの神社で、建築様式もありきたりなものです。とはいえ、本殿は個性的な箇所がところどころあり、小さいながらも見栄えのする造りをしています。
以上、三島神社でした。
(訪問日2019/12/14)