今回は長野県上田市の荒神宮(こうじんぐう)について。
荒神宮は千曲川西岸の堤防にある住宅地に鎮座しています。
参上神社(さんじょう-)の別名があり、真田氏をはじめ歴代の上田藩主からも崇敬されていたほか、木曽の源義仲も当地で戦勝祈願をしたと伝えられているようです。社殿については江戸末期の本殿が残っており、規模こそ小さいものの精緻な彫刻が使われた豪華なものになっています。
現地情報
所在地 | 〒386-0032長野県上田市諏訪形467(地図) |
アクセス | 上田駅から徒歩20分、または別所線城下駅から徒歩10分 上田菅平ICから車で15分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
荒神宮の境内は南向き。
入口の鳥居は明神鳥居で、扁額は「荒神宮」。左にあるのは神社の由緒と祭日が書かれた案内板(荒神宮社務所による設置)。
鳥居の先には拝殿があります。
拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)、向拝1間。正面に千鳥破風。柱はいずれも角柱。
軒裏はまばら垂木ですが二軒(ふたのき)になっています。
こちらの扁額は「参上神社」。正面の扉は桟唐戸(さんからど)。
拝殿はこれといって目立つ意匠がないですが、正面の千鳥破風の拝みから垂れ下がる懸魚(げぎょ)はちょっと変わった形。
懸魚の中央に描かれた紋は笹竜胆。源氏の家紋です。
本殿
拝殿の裏には覆いがかかった本殿が鎮座しています。覆い屋の柱や貫などのせいで写真映えはいまひとつですが、鑑賞に支障はありません。
本殿はこけら葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面1間、軒唐破風付きの向拝3間。
案内板*1によると1863年(文久三年)に上田市国分上沢の工匠・竹内八十吉によって造営されたとのこと。
祭神はタケミナカタ、オキツヒコ、オキツヒメの3柱。諏訪神社とかまど神のようです。
正面の軒先は4本の角柱で支えられています。柱間は3つなので、向拝3間となります。
角柱(向拝柱)には紋様が彫られており、正面側には唐獅子の木鼻、側面には象の木鼻。角柱と角柱をつなぐ虹梁(こうりょう)も派手な彫刻が施されていますが、この本殿は正面側から見られないため題材はわからず。
写真右の向拝柱が角柱であるのに対し、左の母屋柱は円柱。
角柱と円柱をつないでいる海老虹梁(えびこうりょう)には、雲の中をうねるように飛ぶ龍の姿が豪快な造形で彫られています。ここは明らかに幕末(江戸後期)だとわかる作風。
暗くなって見づらいですが、海老虹梁の上では波の意匠が彫られた手挟(たばさみ)が軒裏の垂木を受けています。
3柱の神が祀られているので、母屋の正面には桟唐戸が3組。
母屋の前には角材で造られた階段があり、その下には浜床が張られています。そして浜床の下にも木鼻のついた組物が置かれています。
この本殿の最大の見どころといえるのが壁面の彫刻。
あまりにも精緻すぎて遠目には題材がわかりません。近づいて見てみると、槍を持った騎馬武者が彫られていました。
縁側は正面と左右の3面に切目縁(きれめえん)がまわされており、欄干は跳高欄。背面側をふさぐ脇障子にも騎馬武者の彫刻があります。
縁側の床下は四手先の組物で支えられており、斗(ます)が乗っている肘木(ひじき)の形状も独特。
階段の下にも波の意匠の彫刻が配置されています。
なお、反対の側面を見るには民家の敷地のような場所に入らないといけないので、鑑賞と撮影は断念しました。
妻壁。妻虹梁は出組で持出しされています。
妻飾りには題材不明の花の彫刻が配置されています。
背面の壁には彫刻がありません。ただし脇障子は背面側にも彫刻があり、樹木や雲が彫られているのが確認できます。
母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜き工作がなされていました。
全体的に白木の彫刻が大量に配置されており、装飾過多。良くも悪くも江戸後期の神社本殿の典型といった造り。これを美しいと思えるかどうかは見る人しだいでしょう。
以上、荒神宮(参上神社)でした。
(訪問日2020/04/14)
*1:上田市教育委員会