今回も愛知県瀬戸市の定光寺について。
前編は定光寺本堂について解説いたしました。
後編(当記事)は本堂の裏山に鎮座する源敬公廟(げんけいこうびょう)の解説になります。
アクセスなどの現地情報については前編をご参照下さい。
源敬公廟
本堂の裏手には切妻の門があり、この先は有料区域となります。入場料は100円。
多数の文化財があり料金も良心的なので、定光寺まで来たなら見ておくことをお勧めします。
門をくぐって坂を少し登った先には、徳川家康の九男で尾張徳川家の初代・徳川義直(1601-1650)の墓所があります。
「源敬公」は徳川義直の諡号(しごう:高貴な身分の人に死後贈られる美称)。
坂を登って行くと門が見えてきます。
覆いがついているので遠目には解りにくいですが、こけら葺きの四脚門(よつあしもん)です。
「獅子の門」という名称がついており、1699年の造営で重要文化財に指定されています。
四脚門は6本の柱で構成され、前後に各2つ設けられる柱は角柱を使うのが一般的。しかしこの「獅子の門」はすべての柱に円柱が使われています。
写真は向かって右の柱の上部。貫の木鼻に唐獅子の彫刻がついています。
その上のほうの貫には台輪木鼻がついており、この門は江戸期のものですが禅宗様の影響を受けた作風。
参道を進むと、独特な雰囲気の「竜の門」と築地塀が現れます。
竜の門と築地塀は1652年の造営で、こちらも重要文化財。
案内板(設置者不明)の記述は下記のとおり。
本廟は徳川義直公の遺命により中国人 陳元贇の設計になり儒教式の配置であり江戸時代初期の廟建築中の異彩ある代表的建造物として注目すべきである
竜の門は銅瓦葺の入母屋。
屋根には多数の鯱。屋根瓦は本瓦なのですが、円柱状の部材が鍔(つば)のような断面形状をしているからなのか、あまり日本らしくない趣を感じます。
屋根の下に張られている壁は、保護用の覆いです。
この門は、前後の柱が角柱となっています。
頭貫には台輪木鼻があり、こちらも禅宗様。台輪の上にある蟇股(かえるまた)には徳川家の紋(三つ葉葵)が彫られていました。
火灯窓と桟唐戸。
案内板(設置者不明)によると桟唐戸の彫刻は左甚五郎の作とのこと。
なお左甚五郎は実在しない人物です。卓越した腕前のある工匠につけられる二つ名のようなもので、特定の個人を指す名前ではないのでご注意ください。
とはいえ「左甚五郎 作」とされるということは、それなりに出来の良い彫刻と判断していいと思うので、やはり一見の価値ありです。
竜の門の先には、焼香殿と宝蔵(右)。両者とも1652年の造営で、重要文化財。
こちらも建造物としてかなりおもしろい造りをしているように見えるのですが、保護用の覆いで壁面がほとんど見えないのがやや残念です。
内部をのぞき込んでみたところ、桟唐戸が少し見えました。
最奥部には源敬公廟の中枢である墓が、石垣の上に造られています。
手前の唐門は銅瓦葺で、軒裏は吹寄せ垂木となっています。柱は石製の円柱で、銅板でカバーされた腕木と組物が軒を支えています。
唐門の桟唐戸も銅板で、上のほうは「左甚五郎」の作と思しき彫刻、下半分は三つ葉葵。
墓標は1651年、唐門は翌年の造営。いずれも重要文化財。
唐門の右のほうへ行くと、徳川義直の死に殉じた家臣と陪臣(家臣の家来)たちの墓もあります。計9基。
余談になりますが、4代将軍・徳川家綱(在任1651-1680)の代から殉死は禁止されて処罰の対象になっています。時期的にもほぼ一致しているので、この家臣らの殉死と殉死禁止令は少なからず関連がありそうに思えます。
墓と手前の石柵は、あわせて附(つけたり)として重要文化財の付属品という扱いになっているようです。
源敬公廟については以上。
定光寺本堂(前編にて解説)は禅宗様建築のお手本のような端正な造り。対して、源敬公廟は通常の日本建築とは一風ちがった造りで、作風のちがいが好対照です。そして両者とも重要文化財に指定されている点も見逃せません。古建築好きならば必見の名所といえます。
以上、定光寺と源敬公廟でした。
(訪問日2020/02/08)