今回は長野県佐久市の平賀神社(ひらが-)について。
平賀神社は佐久市の南東部の集落に鎮座しています。
境内は丘の斜面にあり、鶴岡八幡宮から分祀したという歴史のある神社です。本殿は覆い屋の中にありますが鑑賞は可能で、江戸後期と思しき派手な彫刻で装飾されています。
現地情報
所在地 | 〒385-0034長野県佐久市平賀4976(地図) |
アクセス | 太田部駅から徒歩15分 佐久南ICから車で15分 |
駐車場 |
5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
平賀神社の境内入口は西向き。
鳥居は石製の明神鳥居で、扁額は「八幡宮」。
案内板(平賀神社氏子中)によると創建は鎌倉時代。源氏の家系である平賀氏が、源頼朝から許可を得て鶴岡八幡宮(鎌倉市)から分祀したのが由来とのこと。
室町末期には武田信虎と晴信(信玄)による佐久攻めの戦火で焼失するも、間もなく復興再建。江戸末期までは平賀八幡宮と呼ばれていたようです。
境内は丘の斜面に築かれた石垣の上にあり、急な石段を登って参拝します。
拝殿(覆い屋)と本殿
参道の石段を登った先にあるのは覆い屋。内部に本殿が納められています。
賽銭箱や鈴のついた縄があり、どうやら覆い屋が拝殿の役割を兼ねているようです。
ちょっと変わった感じがしないでもないですが、この日にまわった南佐久郡の小規模な神社では、覆い屋が拝殿を兼ねているところが多々ありました。
「覆い屋兼拝殿」はこの地域の神社の特徴なのでしょうか。
覆い屋は桟瓦葺の切妻(平入)。向拝1間。
向拝には蟇股(かえるまた)と挿肘木を使った持ち送りが確認できます。
本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面1間、向拝1間。
造営年代は不明ですが、彫刻の量や造りからして江戸中期以降のものでしょう。
写真上端に見切れている鬼板には、鬼の面のほかにも繊細な彫刻が置かれています。
また、破風板から垂れ下がる桁隠しにも細かな彫刻(題材は牡丹?)が施されています。
なお、本殿はガラス戸越しに見ることしかできないため、反射で映った私の手やガラス戸の曇りが写り込んでしまっています。心霊画像のたぐいではございません。
正面の向拝柱には、正月の松飾りのなごりのようなものがくくり付けられています。向拝柱の上のほうには、唐獅子と象の木鼻がついています。
紙垂(稲妻型の紙)のついた縄がかかった梁には、立体的な花の意匠の彫刻。
母屋の正面には扉が3枚。たいてい、八幡宮は3柱の神を祀ります。
案内板によると祭神は誉田別命(応神天皇)、神功皇后、玉依姫。
八幡三神の3柱目というとたいていは比女神(宗像三女神など)で、平賀神社の分祀の元となった鶴岡八幡宮も比女神なのですが、ここでは玉依姫を祀っているようです。
正面の階段の下には紋様のついた長押(なげし)が二重に打たれています。長押の下には浜床が張られています。長押を上下に2つ重ねて打つ技法は初めて見ました。
縁側は壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)が3面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。
縁側は組物のついた束で支えられており、よく見ると縁の下の壁面にも彫刻があります。
壁面や脇障子には派手な彫刻がはめ込まれていますが、明瞭な写真が撮れないため題材はよくわかりません...
ガラスの反射のせいでほとんど見えないですが、母屋と向拝柱をつなぐ梁は立体的に竜が彫刻されていました。ここは明らかに江戸後期あたりの作風。
母屋の柱上では、尾垂木の突き出た三手先の出組によって妻虹梁が持出しされています。
妻虹梁や妻壁にも彫刻があってにぎやかな外観だったのですが、例のごとくガラスの反射がひどく、まともな写真がとれなかったため割愛。
以上、平賀神社でした。
(訪問日2020/02/23)