世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【池田町】須波阿須疑神社 ~和様・唐様・天竺様が融合したハイブリッド建築~

今回は福井県のマイナー観光地ということで、池田町の須波阿須疑神社(すわあずき-)について。

 

須波阿須疑神社は、福井市から少し山へ入った場所にある池田町の里山に鎮座しており、須波(諏訪)という名前のため信州の諏訪大社とも縁があるようです。いちばんの見どころはやはり室町時代に造営された本殿で、福井県内では最古の神社建築となっています。

なお、社名は「阿(※さんずいに頁)疑」が正確な表記ですが、当記事では「阿疑」で統一します。

 

 

現地情報

・所在地:

 〒910-2512

 福井県今立郡池田町稲荷13-1

・アクセス:

 JR武生駅から池田町行きバス 稲荷にて下車 徒歩3分

 福井ICまたは武生ICまたは鯖江ICから車で30分程度

・駐車場:10台程度(無料)

・営業時間:随時

・入場料:無料

・社務所:あり(要予約)

・滞在時間:20分程度

 

境内

参道

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境内の入口には、立派な両部鳥居(四脚鳥居)が立っています。

両部鳥居は前後の柱(稚児柱という)に四角柱を使うのが一般的なのですが、この鳥居は八角柱を使っている点が独特だと感じました。

扁額には「池田惣社 式内 須波阿須疑神社」とありました。

 

楼門(山門)

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参道は平坦ですがそれなりの長さがあり、入口と拝殿の間には楼門があります。

楼門は銅板葺の切妻(平入)で、正面3間・側面3間。1階部分はいずれも丸柱です。1850年の再建とのこと。

案内板(池田町)によると地元では「稲荷の赤山門」と呼ばれているらしいですが、私はこの深い赤茶色の彩色を見て“あずき色”という古めかしい色名を思い浮かべました。

 

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柱の上には、三手先(みてさき)の出三斗(でみつど)と呼ばれるタイプの組物が使われています。組物と組物の間には、間斗束(かんとづか)という斗(ます)の載った束が配置されています。

2階の縁側は壁面と直行に板を張った切目縁(きれめえん)。板、というよりは角材を使っており、木材の使いかたが縁側にしては豪勢です。こんな分厚い木材が並んでいると、なんとなくマリンバ(木琴)っぽく見えます。

 

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楼門の内部。

中央の柱間には虹梁のような分厚い化粧梁があり、梁の中央には稲穂が3つ渦巻いた意匠の紋が、梁の上には蟇股(かえるまた)があります。

ちょっと気になったのが、梁を受けている組物。ふつう、組物は柱の上に載せるものですが、この組物は柱に差し込まれています。これは挿肘木(さしひじき)と呼ばれるもので、本来は仏教寺院の建築様式である大仏様(だいぶつよう 天竺様とも言う)に見られる意匠です。

いちおう補足しておくと、神社建築は基本的に和様ですが、挿肘木が和様の建築に用いられることも決して珍しくはないようです。しかし、こうした例を見たのは初めてだったので少し驚きました。

 

拝殿

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楼門を過ぎると二の鳥居と手水があり、その奥に拝殿が見えてきます。

拝殿は銅板葺の入母屋(平入)で、正面7間・側面4間(案内板によると奥行き5.5間)。拝殿としては異様に大きいです。1689年の再建とのこと。

案内板(池田町)には「間口八間、奥行き五・五間」とありましたが、たぶんこれは「間」という単位を柱の本数のことだと勘違いしてしまったのだと思います。

 

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拝殿も変わった造りをしていて、あまり神社らしくない雰囲気。明かり取りの格子窓の上下は板で隙間なくふさがれており、柱の上のほうでは肘木(あるいは突き出し梁?)が二重に突き出て屋根を支えています。これは雪に耐えるためでしょうか。

内装も独特で、中を覗き込んでみると畳敷きになっており、しかも囲炉裏までありました。ふつう、神社の床は板敷きです。

 

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拝殿を斜め後方から見た図。中央の1間が少し突き出しています。案内板に“奥行き5.5間”という半端な数が書かれていたのは、これを言いたいのでしょう。

 

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真後ろから見た図。突き出た1間には扉が付いています。この扉は、拝殿の後方にある本殿を拝むためのもののようです。

背面側の壁板はやや傷みが目立ちます。これも、雪のためでしょうか?

 

本殿

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拝殿の裏手の、一段高くなって玉垣に囲われた場所に、本殿が鎮座しています。

本殿には覆いがかけられていますが、見学者のことを考えてくれているのか、壁板は腰くらいの高さまでになっており、鑑賞しやすいです。

 

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正面は間口(桁行)3間で、扉が3つ。これは三間社(さんけんしゃ)です。

扉の手前には角柱が4本(柱間は3間)立っており、正面の庇(向拝という)を支えています。

 

軒下の垂木をよく見ると、写真中央あたりでは平行に配置されているのですが、写真の両端のほうへ行くにつれて角度がついてきて、しだいに放射状になっていっています。これも、本来は大仏様建築に用いられる意匠です。

 

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側面は奥行(梁行)2間。屋根の正面側が長く伸び、「へ」の字のシルエットを描いています。これは流造(ながれづくり)です。屋根の素材は檜皮(ひわだ)。

よって、本殿は檜皮葺の三間社流造で、正面3間・側面2間、向拝3間。

 

本殿は1491年に一乗谷城の城主・朝倉貞景の寄進によって造営されたもの。国重文に指定されています。

造営当時、境内には仏殿や三重塔などの立派な伽藍があったようですが、1574年に起きた越前一向一揆と織田信長の戦乱により、本殿を除いたすべてを焼失しています。

 

案内板によると建築様式は「和様・唐様・天竺様の三様式が融和した優美な室町中期の特色をよくあらわしている」とのこと。先述のように、垂木のあたりに大仏様(天竺様)の要素を見つけることができましたが、唐様っぽい要素は私には見つけられませんでした...

また、組物について「独創的な手法が用いられ」ているそうですが、どのあたりが独創的なのかは謎。

案内板には突っ込みどころが散見されますが、私もまだまだ勉強が足りませんね...

 

境内については以上。

社殿はいずれも神社建築としては風変わりな様式をしており、神社とも寺院ともつかない独特の雰囲気を持っていて、寺社建築が好きならば一見の価値がある素晴らしい内容だと思います。

今回は他の神社を見るついでで立ち寄ったのですが、神社のセオリーから外れた意匠をところどころに見つけることができ、大いに楽しめました。

 

以上、須波阿須疑神社でした。

(訪問日2019/08/12)