甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【宇治市】萬福寺 その4 開山堂

今回も京都府宇治市の萬福寺について。

 

その1では総門と三門について

その2では天王殿と大雄宝殿について

その3では法堂について述べました。

当記事では、開山堂と境内北側の塔頭について述べます。

 

鎮守社と連灯堂

天王殿向かって左手前には、鎮守社(八幡宮祠堂)が南面しています。

 

一間社流造、桟瓦葺。

1664年(寛文四年)建立。大雄宝殿の附として国宝に指定されています。

 

向拝は1間。虹梁は絵様、眉欠き、袖切が彫られ、中備えは蟇股。

蟇股には蓮と鴨らしき鳥の彫刻がありますが、鳥の顔の部分が欠損してしまっています。

 

向拝柱は面取り角柱。面取りの幅が大きめに取られています。

柱の側面には木鼻。柱上は連三斗。木鼻の上に巻斗が乗り、連三斗の肘木を持ち送りしています。

 

向拝柱と母屋とのあいだには、湾曲した海老虹梁がかかっています。向拝側は組物の上から出ていて、母屋側は頭貫の位置に取りついています。

 

向拝の下には角材の階段が7段。階段の下には浜床が設けられています。

 

母屋正面は1間。

正面に紫色の幕がかけられ、正面の柱筋から奥に入った位置に板戸が設けられています。

 

母屋柱は円柱。柱間は横板壁です。

頭貫には拳鼻がつき、柱上の組物は出三斗、頭貫の上の中備えは蟇股。

組物と蟇股の上に妻虹梁がわたされ、豕扠首で棟木を受けています。

 

破風板には猪目懸魚が下がっています。上の写真には写っていないですが、向拝の軒桁にも同様の猪目懸魚がありました。

 

背面。こちらは頭貫に中備えがありません。

母屋の床下にも壁板が張られています。

縁側はくれ縁が3面にまわされ、背面側には脇障子を立てています。

 

基壇は、石積みとブロック状の石材で構成されています。

母屋柱は、井桁状に組まれた横木(土台)の上に据えられています。縁束は、おそらく当初は礎石の上に据えられていたと思いますが、基壇の上に直接置かれ、中には接地できていない縁束もありました。

 

鎮守社向かって右には宝篋印塔。

造営年不明。耳の部分が大ぶりで、反り返った形状をしています。

 

天王殿から回廊に沿って南へ行くと、回廊の外に連灯堂(聯燈堂)が北面しています。

桁行3間・梁間4間、入母屋、桟瓦葺。

1972年再建。

 

正面中央の柱間。

引き戸の上には飛貫虹梁がわたされ、中備えの大瓶束に「聯燈堂」の扁額が掲げられています。

 

向かって左の柱間。

柱は円柱。柱間は、飛貫虹梁、飛貫、虹梁(頭貫?)でつながれ、柱上に台輪が通っています。虹梁と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出組。大瓶束の上にも同様の出組が配されています。

 

左側面(東面)。

側面は4間。前方の2間は引き戸が入り、その後方の1間は火灯窓、最後方の1間は白壁です。

縁側は切目縁で、側面の前方2間までまわされています。

 

軒裏は二軒繁垂木。放射状に配されており、禅宗様の扇垂木です。

 

通玄門

天王殿の手前まで戻り、境内北側の区画へ進むと、当寺を開山した隠元隆琦を祀る開山堂があります。こちらは開山堂の入口にあたる通玄門で、南向き。

四脚門、切妻、本瓦葺。

1665年(寛文五年)造営。「萬福寺」20棟として国指定重要文化財(国重文)*1

 

正面の軒下。

手前の控柱のあいだには頭貫が通り、中備えに蟇股が2つ置かれています。

 

向かって左手前の控柱。

控柱は面取り角柱が使われ、前方(写真右)に木鼻がついています。柱上は巻斗で軒桁を受けています。

 

左の妻面(西面)。

主柱は棟の近くまで伸び、巻斗を介して棟木を受けています。

主柱と控柱とのあいだは頭貫でつながれています。頭貫の中央には束が立てられ、主柱から出た腕木をはさんで軒桁を受けています。

 

内部向かって右側。

主柱は円柱が使われ、腰貫で前後の控柱とつながっています。主柱は丸い礎盤、控柱は四角い礎盤の上に据えられています。

 

開山堂

通玄門の先には開山堂が南面しています。

桁行3間・梁間1間、一重、裳階付、入母屋、背面後室附属、向唐破風、本瓦葺。

1675年(延宝三年)造営。「萬福寺」20棟として国重文*2

 

概観は、先述の大雄宝殿を小型化した造りに見えます。

禅宗様建築でよくある「一重、裳階付、入母屋」をベースとし、明風の独自の構造や意匠が採り入れられている点も大雄宝殿と同様です。

 

下層正面は3間。

ほかの堂宇と同様に、下層は前方1間通りが吹き放ちの庇となっています。

 

基壇の前縁には欄干。法堂の欄干の木組みは卍崩しでしたが、こちらは完全な卍型に組まれています。

 

柱はいずれも面取り角柱。

前方の庇の柱のあいだには虹梁がわたされ、中備えは板蟇股。こちらの蟇股は下が広くなった通常の形状をしたものです。

柱上には出三斗が使われ、通肘木を介して軒桁を受けています。

 

庇の空間には、アーチ状の黄檗天井が張られています。

前後方向には虹梁がわたされ、2本の大瓶束を立てて桁を受けています。

 

下層の母屋正面。扁額は「開山堂」。

柱間には、桃戸や格子の窓が入っています。

 

正面中央の柱間の桃戸。

葉のついた桃が、薄く線彫りされています。

 

右側面(東面)。

側面は、吹き放ちの庇も含めると4間あります。

 

上層。扁額は「瞎驢眼」(かつろげん)。

正面の柱間は3間。

大棟の中央にはひょうたん型の宝珠、両端にはマカラが乗っています。

 

柱は上端が絞られ、頭貫に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出組。台輪の上の中備えは撥束で、これは和様建築の意匠です。

軒裏は上層下層ともに平行の二軒繁垂木。平行垂木も和様の意匠です。

 

開山堂向かって右(東)の回廊を進むと、東屋のような堂に石碑が安置されています。

こちらは石碑亭で、宝形、桟瓦葺。

1709年(宝永六年)造営。開山堂の附として国重文。

 

石碑亭の北側の壇上には、透塀に囲われた寿蔵があります。

六角円堂、本瓦葺。

1663年(寛文三年)造営。「萬福寺」20棟として国重文

 

石碑亭から回廊をつたって天王殿のほうへ向かうと、回廊の途中に鐘楼があります。

切妻、桟瓦葺。

この鐘楼や回廊も、開山堂の附として国重文です。

 

庫裏

開山堂向かって左側には庫裏があります。こちらは東面です。

入母屋、こけら葺。

1694年(元禄七年)造営。「萬福寺」20棟として国重文

 

南側には玄関が東面しています。

玄関部分は、向唐破風、こけら葺。

 

柱には木鼻がつき、柱上は出三斗。

正面の柱間の中備えは蟇股で、唐破風の小壁には大瓶束。兎毛通に猪目懸魚が下がっています。

 

萬寿院と萬松院

境内入口にある総門の裏まで戻り、通路を北へ進むと、塔頭の萬寿院が南面しています。こちらは無料で出入りできる区画です。

萬寿院の表門で、総門と同様の構造で造られています。

桁行3間・梁間2間、三間一戸、牌楼門、本瓦葺。

江戸中期の造営。府指定有形文化財。

 

表門のほか、客殿、開山堂、庫裏も文化財指定されているようですが、立入禁止となっています。

 

総門から境内を出て、北側の駐車場を進むと、塔頭の萬松院が南面しています。

右の寺号標は「黄檗山 萬松院 金成不動尊」。

門は、薬医門、切妻、桟瓦葺。市指定有形文化財。

 

柱は角柱。主柱の前後に斗栱と腕木を出して、軒桁を受けています。

妻面には板蟇股。

 

門の奥へ進むと不動堂(開山堂)があります。

宝形、本瓦葺。

府指定有形文化財。

 

飛貫虹梁には鰐口が吊るされ、上には竜の彫刻があります。

柱は円柱で、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。柱上は出組。

軒裏は放射状の二軒まばら垂木。

 

以上、萬福寺でした。

(訪問日2024/12/06)

*1:附:棟札1枚

*2:附:裏門1棟、宝蔵1棟、鐘楼及び廊3棟、石牌亭1棟