今回は滋賀県草津市の志那神社(しな-)について。
志那神社は市郊外の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。社記によれば『延喜式』に「意布伎神社」と記載された式内社のようですが、何らかの理由で現在の社名に改められています。また、清和天皇の奉納した鏡と鈴が社宝として現存するとのこと。
境内は松並木の参道になっています。最奥に鎮座する本殿は鎌倉期の造営であることがわかっており、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒525-0005滋賀県草津市志那町727(地図) |
アクセス | 栗東ICまたは瀬田西ICから車で25分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
志那神社の境内は南西向き。周囲は田園地帯に面した住宅地。
100メートル近いの長さがある参道は松並木になっており、その両脇には水路が通っていて独特の趣。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額はなし。
拝殿は入母屋(妻入)、桟瓦葺。扁額は「志那神社」。
滋賀県内でよく見る神楽殿風の拝殿ですが、この拝殿は縁側がないのが特徴的。
本殿
境内の最奥部には3棟の本殿が鎮座しています。中央の一段高い場所にあるのが志那神社本殿。
一間社流造、檜皮葺。
棟木の墨書より、藤井宗近という工匠によって1298年(永仁六年)に再建されたもの(滋賀県教育委員会の案内板より)。国指定重要文化財。
祭神は志那津彦命、志那津姫命、伊吹戸主命(滋賀県神社庁より)。
向拝。
中備えの蟇股は、幾何学的な曲線を組み合わせた抽象的な作風。鎌倉期の蟇股の典型と言えるでしょう。
向拝柱は角面取り。鎌倉期のものなので、面取りの幅が非常に大きく取られています。
柱上の組物は連三斗。向拝柱から出た斗栱で、連三斗を下から持ち送りしています。
組物の斗は、実肘木を介さずに直接桁を受けています。
軒裏の板や壁板はしっくいで白く塗られており、軽快で清潔感のある雰囲気。神社本殿にしっくいが使われるのは少しめずらしいです。この点では、ほぼ同時代に造られた御上神社本殿とよく似ています(様式はまったく異なりますが)。
向拝柱と母屋のあいだには、まっすぐな虹梁がわたされています。
虹梁の向拝側は組物の高さ、母屋側は長押の上に取りついています。手挟はありません。
母屋の正面の扉は、引違いの格子戸。
母屋柱は円柱。
軸部は長押で固定されています。頭貫は見えず、木鼻も使われていません。ここは非常に古風かつ純粋な和様の造り。
柱上の組物は舟肘木。中備えはありません。
妻虹梁の上には豕扠首。
縁側はくれ縁が3面にまわされています。欄干は跳高欄。縁の下には縁束。
母屋柱は床下まで円柱に成形されています。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
屋根葺きは檜皮。檜皮の柔軟性を活かし、分厚く柔らかい曲面形状の箕甲が形成されています。
境内社
本殿の左右には境内社が鎮座しています。両者とも社名不明。
こちらは向かって左の境内社。一間社流造、見世棚造、檜皮葺。
造営年不明。私の推定では江戸初期以降。
向拝柱は几帳面取り。ここを几帳面取りするのは新式(江戸初期あたりかそれ以降)の作風です。
虹梁には唐草が彫られ、木鼻は象鼻。
向拝柱と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれています。ここも新式の作風。
母屋柱は円柱で、頭貫には拳鼻。
中備えは蟇股。
見切れてしまっていますが妻飾りは豕扠首でした。
つづいて向かって右の境内社。様式は左側と同様で、一間社流造、見世棚造、檜皮葺。
造営年不明。おそらく江戸初期以降。
向拝柱は角面取り。母屋柱は円柱。
影になってしまっていますが、向拝と母屋のあいだには湾曲した海老虹梁が渡されています。
角面取りの幅が小さいことや、海老虹梁の形状から江戸初期以降と推定しました。
縁側がないだけでなく、木鼻や中備え、組物、妻飾りも省かれ、良くも悪くも見世棚造らしい造り。
以上、志那神社でした。
(訪問日2021/03/12)