今回は寺社の基礎知識ということで、寺社建築の柱について。
柱は、寺社のみならずすべての建築の基本といえる要素です。
それだけに何気なく寺社を見ていると見逃しがちな部分でもあります。しかし、柱を見ることで寺社建築の格や、造営年代を推測することまでできてしまいます。
当記事では寺社建築の柱について、用途と形状の観点から分類し、どこに注目して観察すると良いかを解説していきます。
寺社建築の柱の分類
寺社建築には、柱にまつわる用語が数多くあります。
用語を列挙するときりがないのでここでは割愛しますが、寺社建築の柱の用語は大まかに2つの分類にわけることができます。
1.形状による分類
2.用途による分類
以下では、この2つの観点から柱を分類し、各種の用語や要点を解説いたします。
形状による分類
柱を形状で分類すると、寺社建築では円柱と角柱が使われます。そのほかの形状の柱はほとんど使われません。
例外的に八角柱や十六角柱が使われることもありますが、たいていは床下のような見えにくい部分です。
円柱(丸柱)
円柱(えんちゅう/まるばしら)とは、断面が円形になる柱のことです。
丸柱とも書き、寺社建築の用語としてはこちらの表記が適当ですが、当ブログでは「円柱」で統一しています。
円柱は寺社建築においてもっとも重要で格の高い柱であり、崇拝対象(仏像や神体)を置く空間は円柱で構成されるのがセオリー。ほとんどの寺社の母屋柱(後述)は、円柱が使われています。
円柱を見たときに注目したいのは、床下です。
神社本殿のような高床の建築の床下を見てみると、床上は円柱なのに床下は八角柱になっていることが多々あります。
これは円柱をつくるプロセスに起因し、本来なら「四角柱→八角柱→十六角柱→円柱」といったように角を落として円柱を成形するのですが、目立ちにくい床下は成形を手抜きして八角柱で手を止めてしまっているのです。
このような手抜きは室町前期に出現します。言い換えれば「円柱の床下が八角柱だったら室町以降のものであり、鎌倉以前はありえない」と推定できるのです。
粽
粽(ちまき)とは、上端や下端が丸くすぼまった形状の円柱のことをいいます。粽柱とも呼ばれます。
粽は禅宗様建築の意匠であり、禅宗様は鎌倉時代に日本に伝来した様式です。つまり、粽が使われた寺社建築は鎌倉以降のものだと判断できます。
ただし、粽は禅宗様でない寺社(おもに寺院建築)でもよく使われるので、粽イコール禅宗様といったふうに結びつけるのは短絡的です。
エンタシスと徳利柱
エンタシス(entasis)とは、上部に行くにつれて細くなった形状の円柱のことをいいます。
徳利柱(とっくりばしら)とは、腰(柱の中間より少し下寄り)が膨らんだ形状の円柱のことをいい、胴張りとも呼びます。
徳利柱(胴張り)はエンタシスの一種といえるでしょう。
(現代の徳利柱)
エンタシスおよび徳利柱は巨大な建造物に用いられる意匠で、目の錯覚を利用して、下から見上げたときに安定感があるように見せるためのものです。
寺社では奈良時代や飛鳥時代の寺院建築に使われ、平安時代あたりから使われなくなったようです。
古風な寺社を再現した現代建築で使われることがあり、とくに文化財指定のない寺社で徳利柱を見かけたら、近現代のものと判断して良いでしょう。
エンタシスは洋風建築の用語で、パルテノン神殿の柱に用いられていることでも知られます。
これを根拠として、古代ギリシャと飛鳥時代日本の建築に歴史的な関連性があるとする説も存在します。しかしこの説は提唱者の伊東忠太氏らによって否定されています。
角柱
角柱(かくちゅう/かくばしら)とは、断面が四角形になる柱のことです。
八角柱や十六角柱も角柱ですが、ことわりなく「角柱」と言ったときは四角柱を指します。
角柱は寺社建築では格の落ちる柱で、庇(ひさし)の軒先を支える向拝柱(後述)に多く使われます。
また、境内社(神社境内にある小さい神社)が本社より格下であるのを表示するため、すべて角柱で造られる例もあります。
角柱を見たときに注目したいのは、面取りです。
円柱とちがって角柱には4箇所のエッジ(頂点)があり、エッジをどう処理しているかで年代を大まかに推量することができます。
角面取り(C面取り)
角面取り(かくめんとり)とは、角柱のエッジを45度の平面に削り出す面取りのことをいい、面取りの基本です。
CAD設計などの用語では「C面取り」(シーめんとり)とも呼び、当ブログでもこの呼称を使うことがありますが、寺社建築用語では「角面取り」と呼ぶのがふつうです。
角面取り(C面取り)は寺社建築の年代を推定するうえで、非常に重要な判断要素になります。
判断の根拠になるのは面取りの幅(面幅)の比で、古い角柱ほど面幅の割合が大きくなる傾向があります。以下に参考として時代別の角柱を、古いものから並べてみます。
(↑約800年前 平安後期~鎌倉初期、中禅寺薬師堂 母屋柱)
(↑約600年前 室町前期、盛蓮寺観音堂 母屋柱)
(↑約600年前 室町前期、窪八幡神社摂社・若宮八幡社本殿 向拝柱)
(↑約400年前 江戸初期、金井加里神社本殿 向拝柱)
見てのとおり、古いものほど面幅の比が大きく、新しいものほど小さくなっていることが分かるかと思います。
面幅と造営年代にはある程度の関連性があり、下記の図表の数値で大まかな年代推定が可能です*1。下表の見付および面幅は、柱幅aを1と置いたときの値になります。
年代 | b(見付) | d(面幅) |
---|---|---|
平安後期 | 0.20~0.18 | 0.28~0.26 |
鎌倉 | 0.17~0.13 | 0.24~0.18 |
室町 | 0.13~0.10 | 0.18~0.14 |
安土桃山 | 0.10~0.077 | 0.14~0.11 |
江戸 | 0.077~0.050 | 0.11~0.071 |
書籍や解説サイトではたいていb(見付)の値が使われますが、これは作業者(宮大工)にとって都合がいいためです。観察・測定するときはd(面幅)を使うほうが簡単でしょう。なお、dはbを√2(≒1.414)倍して算出した値です。
ただし、例外もめずらしくないので、この式だけで年代を断定するのは危険です。
面幅が大きいから古いものだ、と断定するのは早計ですが、逆に「面幅の比が小さいからこれは新しいものだろう」と判断することは可能です。
几帳面取り
几帳面取り(きちょうめんとり)とは、断面が以下の図のようになる面取りのことをいいます。
丁寧な様子をさして言う慣用句「几帳面」の語源です。
もとは几帳という寝殿造りの家具の柱に使われた面取りであり、やや複雑な形状をしているので、寺社建築に几帳面取りが出現するのは角面取りよりも遅いです。
私の観察では、寺社に几帳面取りが普及するのは江戸初期からです。また、角柱の母屋柱(後述)に几帳面取りが使われている例は見たことがありません。
用途による分類
柱は、おなじ形状でも使われている場所によって呼称がかわることが多くあります。
柱を用途で分類すると、寺社建築の柱の代表は向拝柱と母屋柱です。
向拝柱は向拝(庇)を支える柱、母屋柱は母屋(建物の本体)を構成する柱です。「向拝」「母屋」といった用語については当該記事をご参照下さい。
向拝柱
向拝柱(こうはいばしら/ごはいばしら)とは、庇の軒先を支える柱のことをいいます。
向拝は吹き放ちの空間なので、向拝柱に壁板などの建具をつけることは少ないです。
母屋は信仰対象を置く空間であるのに対し、向拝は人が礼拝するための空間であるため、格下の向拝の柱にはほぼ例外なく角柱が使われます。
向拝柱に円柱を使ったセオリー破りの例もわずかながらあり、大宮熱田神社本殿(松本市)、窪八幡神社本殿(山梨市)、雲峰寺本堂(甲州市)が挙げられます。
母屋柱(身舎柱)
母屋柱(もやばしら)は、建物の本体である母屋(身舎)を構成する柱のことをいいます。
寺社建築では身舎(もや)とも表記し、母屋(もや/おもや)というのはどちらかといえば住宅建築の用語ですが、当ブログでは「母屋柱」で統一しています。
前述のように寺社建築でもっとも重要かつ格上の柱なので、円柱を使うのが基本です。
とはいえ母屋柱に角柱を使った例も多くあります。この場合、ほかの寺社との格差を表現するために角柱を使ったか、外から見えない中枢部(神座や四天柱)に円柱が使われている可能性が考えられます。
(母屋に角柱を使用した例。内部は円柱が使われている。)
特殊な用途の柱
このほか、特殊な限定された用途の柱を以下に列挙していきます。
解説はリンク先の用語集をご参照ください。
以上、寺社建築の柱についてでした。
*1:『古建築の細部意匠』近藤豊 著、大河出版、1972/06/01