今回は愛知県岡崎市の真福寺(しんぷくじ)について。
真福寺は岡崎市北部の山間に鎮座している天台宗の寺院です。山号は霊鷲山。創建は古く、飛鳥時代とも奈良時代ともいわれています。境内には室町時代の造営とされる山門と多宝塔があるほか、鎌倉期に造られた坐像が国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒444-2106愛知県岡崎市真福寺町薬師山6(地図) |
アクセス | 大門駅から徒歩1時間 豊田東ICから車で15分 |
駐車場 | 50台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 密教祈祷 竹の子料理 盆栽 真福寺 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
仁王門
真福寺の境内は南向き。道路沿いに仁王門が建っています。扁額は「霊鷲山真福寺」。
仁王門は銅板葺の入母屋。三間一戸の八脚門。柱は円柱。
1494年(明応3年)の再建とのこと。市指定文化財。
頭貫の木鼻は象鼻。柱上の組物は二手先。組物のあいだには蟇股(かえるまた)が配置されています。
組物によって持ち出された桁の上には板が張られており、まるで縁側の床下のよう。案内板(岡崎市教育委員会)によるとこの門は“三間一戸の楼門の下層が残されたもの”のようです。開善寺(長野県飯田市)にもこれと似た山門があります。
案内板いわく和様の門とのことですが、軸部の固定には頭貫が多用され、長押(なげし)はいっさい使われていません。
写真中央の貫の上の蟇股には唐獅子が彫刻されています。
仁王門の手前には弁天堂と放生池。こちらも真福寺の境内のようです。
なお、仁王門の先には参道がのびていますが、車道が通っているため後述の多宝塔や本堂のところまで車で乗り付けることができます。
多宝塔
仁王門から車で移動して境内の中枢に入ると、最初に目につくのがこちらの多宝塔。柵で囲われ、覆い屋がかけられています。
屋根はこけら葺。室町時代の作とのことですがその他の詳細は不明で、とくに文化財指定はされていません。
下層の正面。
母屋は円形。4面に縁側がまわされ、欄干は擬宝珠付き、階段が四方に設けられています。
柱は円柱で、柱間には両開きの桟唐戸(さんからど)や、連子窓が設けられています。
上層。こちらは母屋だけでなく縁側も円形。
柱上の組物は三手先。組物からは尾垂木が突き出ており、尾垂木は先端が平たく和様のもの。
軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木で、放射状に延びた扇垂木になっています。
彫刻や木鼻など年代推定の手掛かりになるパーツがありませんが、桟唐戸や扇垂木は禅宗様の要素なので、室町以降の造営であるのはまちがいないでしょう。とはいえ、室町よりあとの時代のものである可能性も否定しきれません。
開山堂
多宝塔のはす向かいには開山堂。桟瓦葺の宝形、向拝1間。
周囲に立てられた赤い幟によると毘沙門天が祀られているようです。
向拝柱の木鼻は正面が唐獅子、側面が象。虹梁(こうりょう)の中備えは竜の彫刻。
詳細な年代は不明ですが、江戸の中期後期と思われる作風。
母屋の頭貫の木鼻は拳鼻。
母屋柱は円柱で、柱上の組物は出組。二手先に持出された桁の下には、波が彫られています。柱間の蟇股には蓮が彫られています。
本堂
本堂は桟瓦葺の寄棟(妻入)。造営年は不明。本尊は薬師如来。
正面および側面の軒下。
正面に対して奥行きが長く、縦長の平面となっています。柱は円柱、柱上は平三斗(ひらみつど)、柱間には間斗束(けんとづか)。
ほか、特に目立った特徴や意匠が見当たらず、語ることがなくて困ってしまう内容。
縁側を奥へ進むと、宝物殿や大師堂へ行くことができます。
大師堂
本殿の裏には大師堂(左)が鎮座しています。右奥は八所神社(後述)。
大師堂は桟瓦葺の宝形。正面3間・側面3間の方三間。
正面中央には両開きの桟唐戸。軒裏は二軒繁垂木かつ扇垂木。扁額は「福聚海無量」。
堂内には、平安期に天台宗の座主として比叡山延暦寺を復興させた良源の木像(木造慈恵大師坐像)が安置されています。像は鎌倉中期のものとのことで国重文です。
母屋柱は上端がすぼまった粽(ちまき)。頭貫の木鼻は拳鼻。
柱上の組物は出組。持ち出された桁の下には軒支輪。
縁側は4面にまわされ、床板は切目縁(きれめえん)。欄干には禅宗様の擬宝珠がのせられています。
八所神社
前述の多宝塔の隣には鳥居が立っており、八所神社(はっしょ-)の境内が真福寺の伽藍と並行するように伸びています。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(妻入)。中央の柱間は壁がなく、正面に立つと奥の本殿が見えるようになっています。
八所神社本殿は桟瓦葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面2間、向拝3間。
造営年は不明ですが江戸中期以降のものと思われます。祭神は大物主をはじめ多数。
向拝柱は几帳面取りの角柱。向拝柱をつなぐ虹梁の中備えの蟇股や、虹梁木鼻の象鼻は古めかしい作風。
母屋の正面には3組の扉が設けられています。
向拝柱と母屋柱は湾曲した海老虹梁でつながれています。
後補と思われますが、桁の下にはつっかえ棒があてがわれており、よく見ると六角ボルトで固定されています。
頭貫の木鼻は拳鼻。柱間には蟇股。
虹梁の上には笈形(おいがた)が添えられた丸い束が立てられています。
縁側は切目縁が3面にまわされています。
母屋柱の床下は八角柱で、内側の見えにくいところは塗装も省かれています。
最後に鐘楼と謎の渡り廊下。
本堂の周辺には金属製の赤い廊下がわたされています。
この先に何があるのだろうと気になり、本堂から渡り廊下を歩いて行ってみたのですが、当寺の名物だという竹膳料理の店があるだけでした。それだけなら良かったのですが、あまり人が通らないらしく、何度もクモの巣をかぶる羽目に遭いました...
以上、真福寺でした。
(訪問日2020/09/12)