今回は長野県佐久市の貞祥寺(ていしょうじ)について。
貞祥寺は佐久市南東部の山際に鎮座している曹洞宗の寺院です。山号は洞源山。
境内には長野県宝に指定されている三重塔と総門と楼門があるほか、島崎藤村の旧宅があるなど充実した内容。また、参道や伽藍の雰囲気もきわめて良好で、市内でも随一の名刹となっています。
現地情報
所在地 | 〒385-0046長野県佐久市前山1380-3(地図) |
アクセス |
中込駅から徒歩50分 佐久南ICから車で10分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
貞祥寺の境内入口は、駐車場から少し下った道路沿いにあります。
広くて雰囲気のある境内がこの先に広がっているのですが、入口はそれと不釣り合いなくらいに小ぢんまりとしていて目立ちません。
境内に入ると、城跡のような石垣と苔むした参道が現れます。参道や後述の伽藍は北東向き。
この寺院ではなぜか各所に狛犬が配置されています。
参道の左手には、トタンで覆われた寄棟の建物があります。
これは島崎藤村旧栖の家で、小諸市で教師をしていたころの島崎藤村が住んでいた家を当地へ移築したものとのこと。
案内板(佐久市教育委員会)いわく、もともと詩人だった島崎藤村が小説家へ転向して代表作『破戒』などを著したころの住居なので、“藤村文学にとって最も重要な時代”だそうです。
総門
苔むした参道を進むと、参道がクランク状に折れ曲がり、総門が現れます。
総門は銅板葺の切妻(平入)、正面1間・側面1間。いわゆる薬医門(やくいもん)。
案内板(長野県・佐久市 教育委員会)によると1653年(承応2年)の造営で、当寺最古の建造物とのこと。長野県宝に指定されています。
扁額には山号「洞源山」。大棟の鬼板の紋は松皮菱。
貫などの木鼻は台輪がついたタイプで、妻壁には拳鼻のついた詰組(柱間に置く組物)が配置されています。これらは禅宗様の意匠。
妻壁の虹梁の下は支輪、虹梁の上では大瓶束(たいへいづか)が大棟を受けています。
この手の小規模な門にしては、かなり凝った造りと言えます。
写真右の本柱は角柱であるのに対し、左奥の控え柱は円柱が使われています。
寺社建築では「円柱>角柱」という格差があるので、本柱を円柱にするのが普通です。しかし、この総門はその格差関係が逆転してしまっています。
内部は格天井で、やはり詰組が使われています。
山門と鐘楼
総門を過ぎると、その先には山門が控えています。
山門は茅葺の入母屋(平入)で、正面3間・側面2間。三間一戸の楼門。
柱は、1階はいずれも角柱、2階はいずれも円柱。
案内板によると1672年(寛文12年)の造営で、長野県宝。
小泉三右衛門・重右衛門によって造営されたとのこと。ウェブ検索をしてもそれらしい情報がヒットしないので、おそらく地元の宮大工でしょう。
大棟には武田菱のような紋が見えますが、松皮菱を4つ並べたものでした。
1階部分には仁王像が安置されています。
頭貫に木鼻がついているほか、特にこれといった装飾はなし。シンプルなだけに骨太な角柱が力強く見えます。
2階を見上げた図。扁額は「禅■窟」(■部判読できず)。
軒裏の垂木は二軒(ふたのき)の繁垂木。
右側面。茅が分厚く葺かれていて、非常に重厚な趣。
1階部分は柱間に詰組を配置していますが、2階部分は柱間に間斗束(けんとづか)が置かれています。
前述の総門は禅宗様の意匠が見られましたが、こちらは禅宗様の要素が薄め。
背面側は柱間に壁がなく、左右の回廊につながっています。
回廊の先には鐘楼。
鐘楼は銅板葺の入母屋。梁間1間・桁行2間で、角柱。
本堂と僧堂
本堂は銅瓦葺の入母屋(平入)。正面に千鳥破風(ちどりはふ)、向拝はなし。
正面の石段と屋根の千鳥破風は、建物のセンターからやや左にずれた場所に設けられています。
写真ではわかりづらいですが、本堂の前の空間は山門や回廊などの伽藍や境内の樹林に囲われていて、外界から隔絶されたかのような空間が形成されています。
佐久市の都市部からさほど遠くない土地なのですが、この境内は近隣の住宅地の景観や幹線道路の騒音とは無縁の世界で、まさに「七堂伽藍」という言葉にふさわしい静謐な雰囲気。
扁額の字は「覚皇宝殿」。軒裏は二軒のまばら垂木。
千鳥破風の内部の妻飾りは豕扠首(いのこさす)。
本堂の向かって左にある伽藍は僧堂。
屋根の表面は鉄板で覆われていますが、その下には分厚く茅が葺かれています。
三重塔
本堂と僧堂のあいだの通路を進むと、岡の中腹に立つ三重塔が視界に現れます。
屋根は銅板葺。正面・側面ともに3間。長野県宝に指定されています。
八十二文化財団によると、造営年代は1849年(嘉永2年)。
もとは松原諏方神社(小海町)の別当である神光寺という寺院にあったものですが、廃仏毀釈によって廃寺になったため、貞祥寺が買い取って明治3年に当地へ移築されたようです。
1層目。
縁側は壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。擬宝珠付きの欄干が立てられています。
中央の扉は桟唐戸(さんからど)。その両脇の欄間には彫刻がはめこまれていますが、一部が欠損してしまっているように見えます。
柱はいずれも円柱で、柱上の組物は尾垂木の突き出た三手先の出組。なお、柱の床下は八角柱になっていました。
軒裏は二軒の繁垂木。
軒下を見上げた図。
三手先の出組で大胆に桁を持出ししています。
組物から突き出る尾垂木は、先端が平らになった和様のもの。組物のあいだには斗(ます)がびっしりと並べられています。
2層目・3層目を見上げた図。
軒裏を見ると、2層目の垂木は平行であるのに対し、3層目の垂木は放射状にのびている(扇垂木)のが印象的。なお、光前寺(駒ケ根市)の三重塔の垂木もこのようになっています。
扇垂木は禅宗様(唐様)の意匠なので、この三重塔は和様と禅宗様の折衷といったところ。
その他の造りは1層目とあまり差異はありません。
扁額の字は判読できず。
裏山の中腹から2層目・3層目を見た図。
三重塔や五重塔のような仏塔は、バランスを考慮して上の層のほうを若干小さめに設計するのが基本です。
この三重塔については下層と上層のサイズの差があまりありません。すらりと上へ伸びたシルエットとなっており、軽快な印象を受けるプロポーションと言えるでしょう。
かといって重厚さがないわけではなく、下から見上げると軒下の垂木と組物の密度が壮観です。いずれも無塗装の白木で造られており、江戸末期の造営にしては彫刻が控えめなので、密度が高くてもくどい感じはありません。
以上、貞祥寺でした。
(訪問日2020/02/23)