今回は山梨県大月市猿橋町(さるはしまち)の春日神社(かすが-)について。
春日神社(猿橋町)は大月市街の南東部の集落に鎮座しています。
小規模な神社なので由緒不明、社殿の造営年も不明。本殿についてはありきたりな流造ですが、独特の意匠や甲州らしい作風が見られ、市内にある神社本殿の中でもやや古風な造りとなっています。
現地情報
所在地 | 〒409-0612山梨県大月市猿橋町藤崎1521(地図) |
アクセス | 鳥沢駅から徒歩30分 大月ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
鳥居と拝殿
春日神社の境内入口は南東向き。
入口の鳥居は両部鳥居で、柱と貫は黒、島木と笠木は赤で塗り分けられているのが特徴的。扁額は「春日大明神」。
拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)。
特にこれといった意匠はないですが、紙垂(白い稲妻型の紙)がかかった虹梁だけは赤く塗装されています。
春日大社の紋は「下り藤」ですが、この拝殿の大棟には「三つ巴」が描かれていました。
ガラス戸には手書きの案内板(設置者不明)が張られており、それによると由緒は下記のとおり。武田信玄(晴信)も当社を崇敬したらしいです。
創立不詳なれど弘治三年(西暦1557年)九月十八日 大膳太夫源信濃守晴信公より息女、北條氏政の妻 安産祈願の為 七斗二升五合を社領として賜る
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。
本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
造営年代は不明。やや古風な造りをしているので判断が難しいですが、少なくとも江戸期以降のものでしょう。
拝殿の案内板によると、祭神はタケミカヅチや天児屋命(あめのこやねのみこと)などの4柱で、春日大社と同様です。
向拝の右端。
まず目につくのは向拝柱の正面側にある唐獅子の木鼻。ほぼ白木ですが目や口だけ塗装されており、なかなか強烈な顔つき。
向拝柱の側面、唐獅子のとなりの木鼻は象のようなシルエットのもの。断面が赤く塗装されています。
向拝柱は几帳面取りで、柱の上の組物はシンプルな出三斗(でみつど)。虹梁の中備えは蟇股(かえるまた)。
右側面から見た向拝。
屋根の側面についた破風板(はふいた)には、牡丹の意匠の桁隠しがつけられています。屋根裏の垂木は赤く塗装されており、三重になった三軒(みのき)で、いちばん軒先に近い飛檐垂木(ひえんだるき)だけは鼻先が黒くなっています。
向拝の角柱と母屋の黒い円柱をつなぐのは海老虹梁(えびこうりょう)。その写真左上で垂木を受けている手挟(たばさみ)は平面的な造形で、三つ葉のような形状でくり抜かれているのが独特。
右側面の妻壁。
組物は柱の上にだけ配置するのが普通ですが、貫の上の柱間にも組物が置かれています(詰組)。山梨県、とくに郡内にある本殿は、神社であるのに詰組を使った例をしばしば見かけます。
組物は一手先の出組で、構造そのものはシンプル。出組で持出しされた梁の上では、笈形(おいがた)付きの赤い大瓶束が斗(ます)を介して棟を受けています。大瓶束の下についた黒い結綿(ゆいわた)はホタテの貝殻のような意匠になっていて、独特です。
右側面の縁側と床下。
縁側は正面と前後の計3面で、背面側には脇障子が立てられています。脇障子に彫刻などはありません。
縁側の床はおそらくくれ縁、欄干は赤い擬宝珠付き。床下は木鼻付きの黒い組物で受けられています。
母屋の柱を観察すると「床上は円柱、床下は八角柱」という定番の手抜き工作がありました。
ちょっと変わっていると感じたのが床下の長押(なげし)。向拝柱の下あたりから母屋背面の柱までを1本でカバーしており、この規模の本殿に使う長押にしては異様に長いです。
この部分に長押を打つなら、長押を2つ用意して「1本は母屋、もう1本は階段の下」とするのが普通と思います。
背面。さすがにこちらの垂木は二重です。
詰組が使われているのは側面と同様。黒い貫には雲状の木鼻がつけられています。
最後に左側面の大棟。
大棟の鬼板には、山梨県の神社のご多分に漏れず鬼の面が取り付けられています。
この本殿は全体的に赤を基調としていますが、懸魚(げぎょ)がついた破風板は赤地に黒いラインが通っていて、良いアクセントになっています。
以上、春日神社(猿橋町)でした。
(訪問日2020/01/24)