今回は神奈川県相模原市緑区名倉(なぐら)の石楯尾神社(いわたておの-)について。
石楯尾神社(名倉権現)は相模川南岸の山間に鎮座しています。
別名は名倉権現。相模国には13の式内社があり、市内には同名の論社が複数ありますが、地形的にこの石楯尾神社が本物の式内社である可能性が高いようです。
社殿については随神門と拝殿と本殿があり、とくに本殿は神明造に特有の古い作風を留めています。
現地情報
所在地 | 〒252-0187神奈川県相模原市緑区名倉4532(地図) |
アクセス |
藤野駅または上野原駅から徒歩30分 上野原ICから車で10分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
石楯尾神社の境内入口は南に面しています。鳥居の奥の階段は途中で左に90度折れるため、社殿は東向きです。
入口の鳥居は石製の神明鳥居。笠木が円柱になったタイプのものです。
社号標は「延喜式内 石楯尾神社」。
鳥居の左には「地震時に倒壊の恐れがある建造物があります」という物々しい注意書き。
そもそもの話をすると、文化財の建造物は建築基準法に準拠していなくても適用除外(建築基準法第3条)として認可されるので、地震があっても安全だという保証は法的にありません。
あと、ふだんから石屋は自分のつくった石鳥居をくぐらない、などという話も聞いたことがあります...
階段を登った先には随神門。
随神門は鉄板葺の寄棟(平入)。正面3間・側面2間の三間一戸。柱はいずれも円柱。
虹梁(こうりょう)や組物などの意匠が見られますが、装飾は少なめでシンプル。貫には木鼻がつけられていません。
拝殿
門を過ぎると拝殿があります。
拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)。正面・側面ともに3間の方三間、向拝1間。
向拝の軒下。扁額は「石楯尾神社」。
屋根の高さのわりに向拝の幅が狭く、ややタイトな感がなきにしもあらず。
向拝柱は赤い角柱で、几帳面取りされた部分が黒く塗られています。
2本の向拝柱をつなぐ虹梁の上には、無彩色の龍が彫られた蟇股(かえるまた)。虹梁の両端の木鼻には唐獅子と象の彫刻。向拝柱の上で垂木を受ける組物は出三斗。
拝殿の右側面。母屋の柱は円柱。
引き戸の上に打たれた黒い長押(なげし)の上の欄間には、中国あたりの故事の一場面と思われる人物像が彫られていましたが、詳細不明。
その上の蟇股には十二支と思われる鳥獣が彫られていました。この拝殿は方三間で各面に柱間が3つあるので、つごう12の蟇股を配置できます。ただし、背面側は別の建物(幣殿?)があって蟇股が見えませんでした。
頭貫の木鼻は拳鼻。組物は尾垂木が突き出た拳鼻付きの平三斗で、梁と桁を二手先に持出ししています。
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。屋根と破風板はそのままですが、その下の母屋を保護するためガラスの壁が設けられています。
本殿は鉄板葺の三間社神明造(さんけんしゃ しんめいづくり)。組物や木鼻などがない古風な意匠。
屋根には千木と鰹木が乗っており、破風板からは鞭懸(むちかけ)という4本の棒が出ています。
ガラスの反射のせいで非常に見づらいですが、母屋の室外には棟持柱(むなもちばしら)が立てられています。縁側は前後左右の4面にまわされていて、欄干は跳高欄(はねこうらん)。脇障子はありません。
構造や意匠は、仁科神明宮(大町市)とだいたい同じといったところでしょうか。
境内には案内板(石楯尾神社社務所の設置)がありますがwikipediaのほうが詳細な内容になっていて、それによると室町末期にすべての社殿が武田信玄によって焼かれ、現在の本殿は1724年(享保9年)のものとのこと。
主祭神は石楯尾大神。もともとこの神社はエボシ岩という大岩が崇拝対象だったようですが、エボシ岩は中央本線の工事のため壊されています。
本殿は保護のガラスのせいで鑑賞しづらいですが保存状態はよく、派手に彩色された拝殿と好対照。
交通アクセスは比較的良いのですが、立地のせいか人里から離れた趣があり、境内はひっそりとしていて雰囲気も良好だと思います。
以上、石楯尾神社(名倉権現)でした。
(訪問日2020/01/24)