今回は山梨県韮崎市の北下條(きたげじょう)と南下條(みなみげじょう)の福地八幡神社(ふくちはちまん-)について。
福地八幡神社(北下條)
北下條の福地八幡神社は、韮崎市街北部の山際に鎮座しています。
本殿は標準的な三間社ですが、彫刻や組物など細部の意匠が凝っており、小規模ながらも見応えのある社殿となっています。
現地情報
所在地 | 〒407-0003山梨県韮崎市(地図) |
アクセス | 韮崎駅または新府駅から徒歩25分 韮崎ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
境内入口には鳥居と社号標が立っています。
鳥居の扁額は「八幡宮」、社号標は「福地八幡神社」。
鳥居をくぐって参道を進むと、随神門の跡と思しき意向があります。
柱の基盤の並びからして、正面3間・側面1間。三間一戸のシンプルでコンパクトな門だったのでしょう。
拝殿は向唐破風(むこう からはふ)の向拝がついた入母屋(平入)。
向拝の梁には蟇股(かえるまた)が大小合わせて3つも配置されており、蟇股の内部(はらわたと言う)の彫刻も繊細な造形です。
拝殿の裏手にまわると本殿があります。
本殿は鉄板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面2間、向拝1間。
向拝と母屋のあいだは板で塞がれています。
屋根には千木と鰹木が載っており、大棟の紋は武田菱でした。
案内板などがまったく無いので年代は不明ですが、彫刻の複雑さや配置から考えると江戸後期、古くてもせいぜい江戸中期のものと推測できます。
また、後述する南下條の福地八幡神社の案内板によると、こちらは1601年(慶長六年)に南下條から分社したものとのことなので、社殿も江戸以降のものでしょう。
左側面の妻壁。
母屋の円柱の上には、二手先の平三斗(ひらみつど)という組物が梁を持出ししており、梁の上では大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。大瓶束の両脇には笈形(おいがた)が添えられています。
組物の間には、はらわたに繊細な彫刻がほどこされた蟇股が配置されています。
縁側は正面と左右にまわされており、脇障子には立体的な彫刻があります。
上の写真は左の縁側で、彫刻の題材は波に鯉、そして梅(?)。
背面。
こちらも組物は二手先で、組物の間には蟇股が置かれています。
母屋の柱は床下も円柱に成形されていますが、基部はコンクリートで補強されている様子。
右前方から見た図。
しめ縄がかかった梁にも蟇股が置かれています。
暗くて見づらいですが母屋の正面には扉が3組。
以上、福地八幡神社(北下條)でした。
福地八幡神社(南下條)
南下條の福地八幡神社は韮崎市街の西部に鎮座しています。
こちらの本殿はごく小規模なものですが、境内は小ぎれいに手入れされており、参拝しやすい神社になっています。
現地情報
所在地 | 〒407-0004山梨県韮崎市藤井町南下條631(地図) |
アクセス | 韮崎駅から徒歩15分 韮崎ICから車で5分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
境内入口には社号標と両部鳥居。
社号標は北下條と同じで「福地八幡神社」。鳥居の扁額は確認を忘れており、上の写真も肝心の扁額が隠れてしまっているので、なんと書かれているのかは不明。
こちらの福地八幡神社は随神門があります。
三間一戸で柱は角柱。大棟の紋は武田菱。
石垣の上にある拝殿は、標準的な向拝のついた入母屋(平入)。
裏手にまわると本殿がありますが、ご覧のように正面側が応急処置みたいな板で覆われており、ちょっと残念な外観となっています。
こちらの福地八幡神社には案内板(設置者不明)があります。
慶長六年の検地の折 下条*1は南北に分かれました。ついで寛永二十一年に当神社より北下条へ神霊を分祀して祭神とされ北下条の八幡神社が創設されました。
さらに往時は名工の彫刻等も多く有していた由でありますが 明治十七年 ついで明治二十一年の大風雨のため山崩れの難に遭い神廟を一挙に失なったと申します。
北と南にある2つの福地八幡神社は、こちらの南下條が本社で、前述の北下條は分社というあつかいだったようです。
以上、福地八幡神社(南下條)でした。
(訪問日2019/12/14)
*1:誤記ではないが、現在の行政上は「下條」の表記が正しい