甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【韮崎市】倭文神社 降宮・本宮

今回は山梨県韮崎市の倭文神社(しずり-)の降宮(おりみや)と本宮(ほんみや)について。

 

倭文神社は穂坂御牧とともに延喜式に記載された式内社の1つです。

延喜式に記載されているのは記事の前半で紹介する降宮のことと思われますが、穂坂にはもう1つの倭文神社である本宮もあるので、こちらもあわせて紹介していきます。

 

 

倭文神社降宮

倭文神社降宮は韮崎市西部にある穂坂(ほさか)集落の中心部にあり、境内のすぐ横を県道27号・昇仙峡ラインが通っています。

現地情報

所在地 〒407-0175山梨県韮崎市穂坂町宮久保6051(地図)
アクセス

韮崎駅から徒歩1.5時間

韮崎ICから車で5分

駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

倭文神社降宮の境内入口

うっそうと社叢が茂った境内は瑞垣で囲われており、鳥居を確認するまでもなく神社だとわかる雰囲気です。

倭文神社降宮の境内は南西向き。入口の鳥居の扁額には「正一位降宮大明神」とありました。

 

案内板(韮崎市の設置)によると、社名の倭文というのは倭文織(しずおり)のことで、麻を織った布を指すようです。また、降宮は“織宮”で、これもまた布にまつわる社名になります。

同じ字面の神社は静岡県や奈良県や鳥取県などなど全国各地にありますが(読みはしつり、しとりなど様々)、それらとの関連性は不明。

 

倭文神社降宮の狛犬

鳥居の裏に控えている狛犬は、陶器のような質感の石材で造られています。

手足の鋭い爪まで造形されており、ついている毬にまで爪を立てているので、大きなお世話ですが毬に穴が開かないか心配になってしまいます。

 

倭文神社降宮の隋神門

随神門は鉄板葺の入母屋(平入)で、ミニマムかつシンプルな三間一戸(正面3間で通路が1間)。柱は角柱。

通路の上に渡されている虹梁(こうりょう)が青と赤で塗装されているのがちょっと変わっています。境内入口にある案内板では、倭文織について“麻などの繊維を赤・青などに染めて横糸として織った古代織物である”と説明していたので、これにちなんで彩色したのかもしれません。

 

倭文神社降宮の拝殿

鳥居と随神門をすぎると拝殿があります。

拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)。こちらの虹梁も青く塗られていました。

 

倭文神社降宮の神楽殿

拝殿の右手前には神楽殿

神楽殿は桟瓦葺の入母屋(平入?)。柱は角柱で、縁側に欄干はありません。

大棟に描かれた紋は「丸に二つ引き」

 

倭文神社降宮の本殿左前

拝殿の裏手には本殿

本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。正面1間・側面2間、軒唐破風(のき からはふ)付きの向拝が1間。

大棟の紋は丸に二つ引き、正面の唐破風の棟の鬼板には鬼の面が取り付けられていました。

 

祭神は天羽槌雄命(あめのはづちお)と天棚機姫命(あめのたなばたひめ)。

案内板には本殿の建築についての解説は一切なく、年代不明。下記で述べる各所の意匠から推察するに、江戸初期から中期くらいのものと思われます。

 

倭文神社降宮の本殿右の縁側

本殿の右側面。

母屋の側面は3本の丸柱で構成されていて、柱間が2間あります。前方の1間は壁のない吹き放ちになっています。

脇障子の彫刻は、樹木と鳥獣が題材でした。ここに彫刻を配置した本殿が出現するのは安土桃山時代なので、この本殿はそれ以降のものと推察できます。

 

倭文神社降宮本殿右側面の妻壁

右側面の妻壁。

円柱の上に配置された組物は二手先の平三斗(ひらみつど)。組物の上には太い虹梁が渡されており、その上では黒っぽい大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。

大瓶束の両脇には妙に白い笈形(おいがた)が添えられており、大瓶束と笈形のコントラストがなんとも言えない独特な配色になっています。

 

破風板(はふいた)は退色気味な赤色で、そこから垂れる桁隠しの懸魚(げぎょ)は白い雲のような意匠。こちらも印象的な配置だと思います。

 

倭文神社降宮の本殿背面

背面は柱間1間。

普通は柱の上に置くはずの組物が柱間にも置かれています(詰組という)。詰組は禅宗様の寺院建築の特徴の1つですが、なぜか甲府盆地近辺の神社本殿ではしばしば詰組が使われます

 

組物の下で丸柱から突き出ている雲状の木鼻は拳鼻(こぶしはな)というタイプのもので、これは室町時代に登場する意匠です。

母屋の柱は、床下まで円柱に成形されている様子。

 

倭文神社降宮の本殿の右前方

最後に本殿を右前方から見た図。

正面側の柱間にも詰組があり、全体的に甲府盆地らしい作風です。

 

以上、倭文神社降宮でした。

 

本宮倭文神社

本宮倭文神社は昇仙峡ラインをさらに登った先にあり、穂坂集落の端に鎮座しています。

こちらは案内板などもなく、社殿もかなり簡素なものとなっています。

現地情報

所在地 〒407-0171山梨県韮崎市穂坂町3195(地図)
アクセス

韮崎駅から徒歩2時間

韮崎ICから車で10分

駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

本宮倭文神社の境内入口

本宮倭文神社の境内は西向きで、入口の鳥居の扁額には「本宮倭文神社」とありました。

 

本宮倭文神社の拝殿

階段を登った先には桟瓦葺の拝殿があります。

こちらも正面の虹梁が青と赤で塗り分けられています。

 

本宮倭文神社の神楽殿

拝殿の右側には神楽殿。神楽殿は鉄板葺の入母屋。

こちらは縁側を支える梁や柱が青く塗装されているのが独特です。

 

本宮倭文神社本殿を見上げた図

本宮倭文神社本殿の右側

拝殿の裏には本殿がありますが、なんとも言いがたい造りです。

様式としては鉄板葺の一間社流造なのですが、縁側の欄干の造りがなんとなく雑だったり、柱と梁と肘木だけが赤と青に塗装されていたりと、他の神社では見られない妙な造りをしています。

案内板もなく造営年代は不明。いつもなら細部の意匠を手掛かりに年代推定をはじめるところですが、この本殿はあまりにも無茶苦茶な造りで、推定などできたものではありません...

 

本宮という社名からしてこちらのほうが前述の降宮より格上に感じてしまいますが、社殿の造りを見る限りでは明らかにこちらが格下です。

なぜこうなったかについては、私がいつも参考にしている下記リンク先の「八ヶ岳原人」様に詳細な考察が載っているので、ぜひご参照下さい。

倭文神社と本宮倭文神社《山梨県の神社》

リンク先記事では『韮崎市誌』の記述が抜粋されています。

それによるとこの本宮倭文神社は昭和時代に貴船神社という社などが合祀されたもののようです。そして合祀された神の中には、前述の降宮と同じ祭神(天羽槌雄命と天棚機姫命)が含まれており、ここはもともと倭文神社の“山宮”なるものがあったことから、本宮倭文神社という現在の社名に改称したようです。

 

よって、この奇妙な社殿は昭和時代の合祀の折に造られたのではないか、というのが私の推測です。

そして上記のことを考慮すると、延喜式に記述された倭文神社は降宮のことを指していると見てまちがいないでしょう。

 

以上、本宮倭文神社でした。

(訪問日2019/12/14)

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