今回は静岡県のマイナー観光地ということで、清水区の豊積神社(とよづみ-)について。
豊積神社は静岡市郊外の国道1号沿線の集落の中に鎮座しています。
延期式内社にも指定されている駿河国二宮であり、非常に格式の高い古社となっています。境内はさほど広くはないものの、その格式にふさわしい整った外観の本殿を見ることができます。
現地情報
所在地 | 〒421-3105静岡県静岡市清水区由比町屋原185(地図) |
アクセス |
由比駅から徒歩15分 清水ICから車で20分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) ※書き置きの御朱印あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
境内入口には石製の鳥居と灯篭、そして社号標が立っています。境内は南向き。
鳥居の扁額は「豊積神社」。
参道を進むと二の鳥居があり、参道左手には手水舎、鳥居の向こうには拝殿があります。
井戸と手水舎
手水舎はなぜか2つあり、両社ともよく似た桟瓦葺の切妻屋根です。
しかしよくみると写真中央はただの井戸、右奥が手水のようです。
井戸と手水舎とはいえ、よく見るとかなり凝った造りをしています。
上の写真は井戸をおおう建物の梁で、梁は波の模様が描かれた虹梁(こうりょう)になっています。
また、梁の上には蟇股(かえるまた)があったり、両端には木鼻と組物まであります。
拝殿
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)。向拝1間。
虹梁の上には大きな龍の彫刻が、両端にはこちらを振り向く唐獅子の木鼻が配置されています。
虹梁の上で垂木を受ける丸桁(がぎょう)は、どういうわけか必要以上に太い木材が使われていて存在感があります。
賽銭箱の隣には、手作りのパンフレットと書き置きの御朱印が置いてありました。
本殿
拝殿の裏手にまわると本殿があります。
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
案内板(由比町教育委員会の設置)によると1825年(文政8年)の造営で、土肥(現 伊豆市)の宮大工・砂間仙蔵父子と地元の大工らによって造られたとのこと。
木材はいずれもケヤキを使った総欅造り。屋根はもともと檜皮葺でしたが、明治22年に銅板葺に改められたようです。
パンフレットによると祭神はもともとトヨウケビメ(豊受)だったのですが、桓武天皇の時代、神主に夢のお告げがあったためコノハナノサクヤ(木花開耶)を祀ったとのこと。
正面の軒下。
写真中央の虹梁の上には繊細な造形の蟇股、両端には象の木鼻が配置されています。
写真奥の母屋は、一間社なので柱間は1つ、扉も1つ。
右側面の妻壁。
母屋の頭貫の上では3つの組物が虹梁を持ち出しており、その虹梁の上では2つの組物が虹梁を持出しするという複雑な構造になっています。
このような複雑な妻壁を持った本殿は、少なくとも甲信地方では見たことがないです。
右側面の縁側。
縁側の床板は壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。背面に縁側はなく、縁側の終端には脇障子が立てられています。欄干は跳高欄(はねこうらん)。
縁側の床下は平三斗(ひらみつど)というタイプの組物が付いた角柱で支えられています。
母屋の柱は円柱で、床下も手抜きせず円柱に成形されています。
離れた場所から見た背面。
前述の複雑な妻壁のせいか小屋組が高く、若干ですが縦長なプロポーションに見えなくもないです。
屋根の上には鰹木が5本載っています。あくまでも傾向ですが、流造の本殿はあまり千木と鰹木を載せません。
左側面の屋根。
流造なので正面側の屋根が長くなっており、破風板が「へ」の字を描いています。
破風板(はふいた)からは懸魚のほか、波のような意匠の桁隠も垂れ下がっています。
木の枝に隠れてしまっていますが、棟の端に載っている千木は、先端が水平にカットされた“内削ぎ”の置き千木。先端が二股に割れています。
社殿の解説は以上。
ほか、坂上田村麻呂が蝦夷を鎮圧して凱旋する際にこの地に立ち寄ったという伝説に由来するお祭りもあるようですが、それについては割愛。
本殿は妻壁の意匠がやや凝っていますが、それ以外は標準的な流造から逸脱したところのないベーシックな造り。江戸後期の造営なので、蟇股の細部には精密な彫刻を見てとることもできます。
また、駿河国二宮であり、近くには薩埵峠(さった-)という富士見の名所もあるため、あわせて見ておくと良いかと思います。
以上、豊積神社でした。
(訪問日2019/11/29)