今回は長野県岡谷市間下(ました)の十五社神社(じゅうごしゃ-)について。
十五社神社(間下)は、岡谷ICから岡谷駅に向かう県道沿いの目立たない場所に鎮座しています。
諏訪大社の系統であり、近辺には同名の神社が複数ありますが、社殿の規模と古さでは当社がほかよりも頭一つ抜き出ています。
現地情報
所在地 | 〒394-0005長野県岡谷市山下町2-17(地図) |
アクセス | 岡谷駅から徒歩25分 岡谷ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
こちらが十五社神社(間下)の境内入口です。
奥にある茂みが社叢なのですが、ほとんど山林の一部として溶け込んでいるので、ここを通りかかって社叢に気づく人は絶無と言っていいでしょう。
家と家の間、塀と生垣に挟まれた狭い小径を10メートルほど進むと、その先に境内があります。
鳥居をくぐって進むと突き当りに舞屋と思しき社殿があり、参道は右に90°折れ曲がります。
曲がった先は石垣で一段高くなっており、石垣の上に拝殿が立っています。
拝殿とその後方の本殿は南向きです。
拝殿
拝殿は銅板葺の入母屋(平入)、正面に千鳥破風(ちどりはふ)、向拝は軒唐破風(のき からはふ)付き。
拝殿・本殿の四囲には御柱が立てられています。祭神は諏訪大社のタケミナカタとその妻・八坂刀女(やさかとめ)、そしてその子ら13神が祀られており、都合15柱が合祀されているため「十五社」という名前があるとのこと。
向拝の軒下。
唐破風から垂れ下がる兎毛通(うのけどおし)には鳳凰、唐破風と桁の間には菊、そして虹梁(こうりょう)には豪快な龍の彫刻が施されています。
龍が彫られた虹梁の上では大量の斗(ます)が桁を受けており、二重三重になった垂木と相まって、向拝の下はかなり密度の高い空間になっています。
案内板(間下区設置)によるとこの拝殿は1920(大正九)年の竣工。当時の平野村(現在の岡谷市)は製糸業が全盛期を迎えていて、財政的にとても恵まれていたとのこと。
拝殿を右側面から見た図。
後方にも母屋がのびており、正面の千鳥破風も含めると十字型の棟になっています。
写真右端に写り込んでいるのは本殿の覆いです。
本殿
拝殿の裏にある本殿には覆いがかけられていますが、壁板は張られていないので問題なく鑑賞できます。
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。正面1間・側面1間、向拝1間という、至って標準的な造りです。
案内板によると、昭和期の修復の際に棟札から1774(安永三)年の造営であることが判ったようです。神社としてはさほど古いものとは言えないですが、諏訪地域の神社に限って言えばそこそこ古い部類に入ります。
写真右端には虹梁の上の蟇股(かえるまた)と、唐獅子と象が彫られた木鼻が観察できます。
屋根側面の破風板には懸魚や桁隠しがついておらず、簡素な造り。
母屋については特筆するほどのものは見られないですが、小屋組を見ると梁の上で大棟を受けている束は大瓶束(たいへいづか)です。上の写真では覆いの貫に隠れて上半分が見えなくなっていますが、梁をはさむ結綿(ゆいわた)は確認できます。
向拝の下部。
石の土台の上に建てられており、正面の階段の下には浜床が張られています。縁側の手すりは跳高欄(はねこうらん)。
背面。
柱の上部に通っている頭貫(かしらぬき)の上には蟇股、両端には拳鼻(こぶしはな)が見えますが、いずれもあまり凝ったところのない古風な造り。
当然のことながら、縁側の脇障子(わきしょうじ)にも彫刻の類はありませんでした。
背面の床下。
床下が妙に黒くなっていますが、理由は不明。縁側は四手先の組物で支えられています。
母屋の柱は床下まで円柱に成形されており、手抜きのない仕上げになっています。
以上、十五社神社(間下)でした。
(訪問日2019/10/05)