今回も福井県の観光地ということで、大瀧神社・岡太神社(おおたき-・おかもと-)について。
前編では境内の様子と、複雑な拝殿・本殿の大まかな構造について語りました。
今回は重要文化財の拝殿・本殿を、さまざまなアングルから詳細に見ていこうと思います。
所在地などの情報については下記リンクをご参照ください。
拝殿
様式は“春日造”or“入母屋”、どちらが正しい?
まずは正面に位置する拝殿から。写真は正面の向拝の軒下。
垂木を観察すると、屋根の角まで隅木が伸びており、入母屋のような構成で軒唐破風(のき からはふ)の向拝が伸びています。
一方、拝殿(上の写真の右半分)を真横から観察すると、背部は屋根が切り落とされたような形状になっています。実際に軒下を観察してみても隅木はなく、切妻になっていました。
「正面は入母屋風、背面は切妻」ということで、私はこれを隅木入り春日造(すみきいりかすがづくり)と見たわけですが、文化遺産オンラインによると入母屋(妻入)とのこと。
私の見解は完全なる間違いというわけではないと思いますが、そもそも「〇〇造り」というのは、普通は本殿について言うものです。なので文化遺産オンラインの表現のほうが厳密かつ正確といえるでしょう。
母屋の柱を観察すると、正面は1間(柱が2本)、側面は2間(柱が3本)となっています。そして、軒唐破風の向拝を支える柱は2本あり、ここは柱間1間。
よって、この拝殿の構造を厳密に言い表すと「屋根は檜皮葺の入母屋(妻入)で正面1間・側面2間、向拝1間で軒唐破風付き」といったところです。
長ったらしいですが、後述の本殿はもっと長いので覚悟しておいて下さい...
各部の詳細
まずは向拝を真正面から。
唐破風の破風板(はふいた)には3つも懸魚(げぎょ)が付いており、中央の懸魚の彫刻は鳳凰(ほうおう)でしょうか。翼の羽根の1枚に至るまで造形されています。
写真では暗くて見づらいですが、虹梁(こうりょう)の上の彫刻は獅子、虹梁の両端の木鼻は麒麟でしょうか。麒麟は、前脚まで造形されています。
鳥獣や人物を立体的に造形した彫刻が神社建築に使われるのは江戸時代以降で、新しい時代のものほど彫刻が派手で複雑になる傾向があります。この社殿は1843年のものとのことで、神社建築としてはかなり新しい部類に入ります。
この社殿の造営の棟梁は大久保勘左衛門で、永平寺の勅使門(唐門)を造営した人物とのこと(wikipediaを参照)。当然のことですが、私が普段から見慣れている諏訪の立川流とは、彫刻の題材の選びかたや配置が全然ちがっています。
向拝と母屋を右側前方から見上げた図。
向拝と母屋をつなぐ海老虹梁(えびこうりょう)は、意外にも彫刻が少なめ。対して、その上方で向拝の垂木を受ける手挟みは精緻な彫刻が施されています。
その手前の縋破風(すがるはふ)から垂れ下がる懸魚は、トビウオに龍の頭がついたようなモチーフ(題材)で、このような題材は初めて見ました。
母屋のほうはシンプルに見えるかもしれないですが、桁の上にも立体的な彫刻があります。
拝殿の解説は以上。
用語だらけで非常に読みづらい文章になってしまいましたが、本殿は更に複雑な造りをしているので、解説のほうも更に用語だらけになると思われます... ご容赦願います。
本殿
一間社か三間社か?
続いて本殿の解説に移ります。まずは建築様式について。
写真右上に小屋根がついていますが、それを無視すれば、正面の屋根を長く伸ばしただけの造りです。これは紛れもなく流造(ながれづくり)。神社建築では、もっともありきたりな様式です。
流造だとわかったら次に特定すべきは「一間社か三間社か?」。ほとんどの本殿はこのどちらかに該当します。
別アングル。
この写真を見る限りでは、母屋の正面の桁は2本の柱だけで支えられていて、正面1間(つまり一間社)に見えます。
しかし背面を見ると、柱間が3つあります。
正面は1間、背面は3間... 一間社と三間社、どちらになるのでしょうか?
難しい問題かもしれないですが、この場合、正面の間口の数を使うのが正解。よって、この本殿は「一間社流造」(いっけんしゃ ながれづくり)です。
小屋根
そして忘れてはいけないのが、本殿の屋根の上に載っている小屋根です。
この社殿を異形たらしめる最大の元凶であり、他の神社と一線を画した個性を醸成させる立役者であります。
再三になりますが、なぜこんな小屋根を、こんな場所に付けようと思った? 棟梁を問い詰めたい...!
この小屋根について、前編で私は“千鳥破風と唐破風”とだけ言ったのですが、これでは説明不足です。
小屋根の縋破風の付け根のあたりに隅木が見え、写真からは少々わかりにくいですが垂木は入母屋のような構成になっています。また、前述の文化遺産オンラインの説明にも“入母屋造”とあります。
よって、この小屋根は「入母屋(妻入)で向拝に軒唐破風付き」となります。
以上の要素を踏まえ、この本殿の構造を厳密に言い表すと「屋根は檜皮葺の一間社流造で正面1間・背面3間・側面3間、向拝1間。小屋根は入母屋(妻入)、向拝1間で軒唐破風付き」となります。
各部の詳細
本殿の向拝を右側面ら見た図。先述のとおり、間口は1間です。
本殿正面の階段の下には、欄干のついた浜床があります。
母屋の正面側の桁の上には三手先の組物が配置されており、突き出した肘木がとげとげしいシルエットを呈しています。
壁面には複雑な彫刻がはめこまれており、彫刻の題材は中国あたりの故事に因んだものと思われます。この辺について私はぜんぜん知識がないので解説はできません...
側面の床下。
縁側は、壁面と直行するように板を張った切目縁(きれめえん)。
床下は四手先の組物で支えられており、よく見ると雲のような意匠がついています。
右後方から見た図。
背面にも組物や彫刻がびっしりと配置されています。先述のように、こちらは柱間が3つあります。
私が少し気になったのは脇障子(写真 赤枠の部材)。普通、脇障子は背面の壁と同一平面に張るものですが、この本殿では縁側の角につながる角度で取り付けられています。
今度は反対側、左側面の軒下と梁です。
梁は三手先の組物で持出しされており、その上でさらに一手先に持ち出されるという、複雑な構成になっています。
三手先に持出された梁にも立体的な彫刻があり、本当にツタがからまっているかのようなリアルさ。写真上端に見切れている束の部分の彫刻は、鳳凰でしょうか。
そしてこの本殿を特徴づける小屋根。
軒下の垂木は入母屋のような構成になっています。そして、軒唐破風の向拝が付いています。
縋破風と唐破風にはやはり懸魚が付いており、唐破風の鬼瓦には徳川家の紋と思われる三葉葵が見えます。
屋根の上に庇があるという、非常にシュールな構図。どう見ても庇としての役割を果たしているとは思えません。見方によっては一種のトマソンと解釈できなくもないかも。
この建物全体の中でも個人的にいちばん好きなポイントが、小屋根を支えている短い柱。影になっていて見づらいですが、ちゃんと組物もついています。
この柱、屋根の上に載って(あるいは、屋根裏まで突き抜けている?)いますが、こんな風にして雨仕舞いが悪くなったりしないのでしょうか? そもそも、こんな小屋根をこんな場所に設けなければこの柱も要らなかったはず...?
前編で私はこの社殿について“笑いがこみ上げて”くると書きましたが、その理由の8割くらいがこの柱です。
あと、小屋根の向拝の唐破風のカーブが、拝殿の大棟をよけるように配置されている点もなんとなく笑えます。たぶん、ここが唐破風でなかったら、小屋根の向拝と拝殿の大棟がぶつかっていたでしょう... でも、そうなったら、それはそれでまた面白いかも?
途中から解説の体を為していなかった気もしますが、本殿の解説は以上になります。
前編・後編に分けるほどのボリュームになりましたが、これにて大瀧神社・岡太神社(下宮)の解説は終了となります。わかりにくい解説にここまでお付き合いいただき、有難うございました。
当記事で解説した下宮についての感想・所感については、下記リンクの大瀧神社・岡太神社(奥の院)の記事にまとめて書いていますので、よろしければそちらもご覧いただけると幸いです。
以上、大瀧神社・岡太神社(下宮)でした。
(訪問日2019/08/12)