今回は山梨県山梨市大工(だいく)の天神社(てんじんしゃ)について。
天神社は市西部の扇状地の山際に鎮座しています。
創建や沿革は不明。武田氏の崇敬を受けていたようで、『甲斐国志』によると、武田信虎の寄進で現在の本殿が再建されたとのこと。
境内は山林に覆われ、社殿は神楽殿と本殿だけの簡素な内容です。本殿は室町後期の再建で、国の重要文化財。建築様式や意匠は、大井俣窪八幡神社の社殿とよく似ています。
現地情報
所在地 | 〒405-0045山梨県山梨市大工1563(地図) |
アクセス | 山梨市駅または東山梨駅から徒歩1時間 一宮御坂ICから車で20分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
神楽殿と拝殿
天神社の境内は東向き。入口は山際の集落の農道に面しています。
石段の先には鳥居と神楽殿があります。
鳥居は木造両部鳥居。扁額はありません。控柱には小さい屋根がかかっています。
鳥居の先には神楽殿と思しき社殿。
入母屋、桟瓦葺。
柱は面取り角柱。軸部は貫で固めています。貫に木鼻はありません。
柱上は実肘木。実肘木の上の桁から腕木を突き出して軒桁をわたすことで、軒裏を受けています。
内部は天井がなく、化粧屋根裏。
中央部分は一段低い通路になっていて、後方の拝殿の前まで通り抜けできます。
背面と両側面には腰壁が張られています。
通路部分にわたされた虹梁。
唐草状の絵様が彫られ、中備えは蟇股。
拝殿は、切妻、桟瓦葺。
とくに目立った意匠はありませんが、神楽殿と同様に腕木で軒桁を持ち出した構造です。
本殿
拝殿の後方の一段高い区画には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は天神(菅原道真)のほか、大国主、スクナビコナ、ヤマトタケル。
建築様式は、一間社流造、桧皮葺。
当地区の古文書や『甲斐国志』(1814年成立)によると、武田信虎(信玄の父)の寄進で1522年(大永二年)に再建されたもの。国指定重要文化財。
当社のすぐ近くにある大井俣窪八幡神社の社殿との類似点が多く、構造や意匠は末社武内大神本殿(1500年造営)とよく似ており、彩色は窪八幡神社本殿(1410年造営)と摂社若宮八幡神社本殿(室町後期)に似ています。
向拝は1間。
向拝の虹梁に中備えはありません。
母屋正面の扉は金色(金箔?)に彩色されています。
写真では分かりづらいですが、黒く塗られた向拝柱は大面取り角柱です。
柱上の組物は連三斗。組物と桁のあいだには通肘木が入っています。
側面には象鼻のような大仏様木鼻が出て、皿斗を介して組物を持ち送りしています。
階段は7段で、昇高欄がついています。
縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄。
背面をふさぐ脇障子は、江戸時代の改変によるもの(境内案内板より)。当初の形態はわかりませんが、おそらく大井俣窪八幡神社の末社武内大神本殿のように、脇障子がなく縁側が背面側で途切れる形式だったのでしょう。
母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固定され、頭貫には拳鼻があります。
母屋の柱上の組物は連三斗。
向拝と母屋をつなぐ梁は、向拝側は組物の上から出て、母屋側は木鼻と一体化しています。
側面は横板壁。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには、真っ黒な蕪懸魚が下がっています。
以上、天神社でした。
(訪問日2023/04/22)