甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【笛吹市】山梨岡神社

今回は山梨県笛吹市の山梨岡神社(やまなしおか-)について。

 

山梨岡神社は市北部の集落に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると第10代・崇神天皇の時代、疫病をしずめるため当社後方にある御室山に神を祀ったのがはじまりで、第13代・成務天皇の時代に現在地に遷座されたらしいです。遷座の際に梨の木を伐採したため、「山梨岡」という地名がつけられたとのこと。

平安時代の『延喜式』には山梨岡神社の記載があり、山梨市の山梨岡神社とともに式内社に比定されています。中世の沿革は不明ですが、室町後期には武田氏の崇敬を受けて、現在の本殿が造営されています。武田氏滅亡後は天正壬午の乱ののち徳川家から社領を安堵され、江戸時代も社領を維持しました。幕末までは「日光権現」「山梨明神」といった通称がありましたが、明治初年に現在の社号に改められました。

現在の社殿は室町末期から江戸中期以降のもので、とくに本殿は武田氏の時代の建築であり国の重要文化財となっています。また、当社の太々神楽は武田氏の出陣の際に奉納されたものとされ、県の無形民俗文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒406-0015笛吹市春日居町鎮目1696(地図)
アクセス 石和温泉駅から徒歩20分
一宮御坂ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道と神楽殿

山梨岡神社の境内は南東向き。入口は川の北岸の集落の中にあります。

 

境内に入ると池があり、橋の先に手水舎、拝殿、神楽殿が並んでいます。

 

参道左手には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は面取り角柱で、頭貫に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は、大斗と舟肘木を組んだもの。

 

拝殿向かって右には神楽殿。南西向き。

入母屋(妻入)、桟瓦葺。

 

当社の春の例祭で奉納される太々神楽(だいだいかぐら)は県指定無形民俗文化財。

太々神楽は、社伝によると「武田信玄出陣の神楽」と言われたようで、戦勝祈願の神楽とのこと。24種類の舞があり、舞の内容は「岩戸隠れ」をはじめとする『古事記』の物語を題材としたものです。

 

柱は角柱で、エッジ部分が白く塗り分けられています。

頭貫と台輪には木鼻が付いています。柱上に組物はありません。

柱間には虹梁がわたされ、正面の虹梁には「神楽殿」の扁額が掲げられています。

 

拝殿

境内の中心部には拝殿。

入母屋、桟瓦葺。

1702年(元禄十五年)造営。

 

扁額は「山梨岡神社」。

柱は角柱が使われ、舟肘木で軒桁を受けています。

 

室内にわたされた梁の欄間には、透かし蟇股が置かれていました。向かって左は牡丹、右は題材不明の植物が彫られていますが、経年による退色でほとんど白くなってしまっています。

 

拝殿の奥には本殿が鎮座し、本殿正面の扉がのぞいて見えます。

 

本殿

拝殿の後方には透塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神はオオヤマツミ、別雷神(上賀茂神社)など。

梁間正面1間・背面2間、桁行2間、一間社隅木入り春日造、向拝1間、こけら葺。

室町末期の造営国指定重要文化財*1

 

案内板*2によると、飛騨の工匠あるいは武田氏の番匠の造営と伝えられているとのこと。1927年(昭和二年)に大改修を受け、その際に台湾産のヒノキ材が使用されたため、やや黒ずんだ外観となっています。

 

正面の破風。

拝みに蕪懸魚が下がり、妻面に木連格子が張られています。

 

向拝の虹梁は、眉欠きと袖切が彫られたもの。絵様はありません。

虹梁中備えは蟇股。透かし彫りになっていますが、角度的に細部の観察はむずかしいです。

 

向拝柱は大面取り角柱。室町末期のやや古い建築のため、面取りの幅が大きいです。

柱の側面には禅宗様木鼻。

柱上の組物は連三斗。通肘木が使われ、前述の虹梁蟇股と肘木を共有しています。

向拝の組物の上からは繋ぎ虹梁が出ていて、写真右の母屋につながっています。

 

繋ぎ虹梁の母屋側は、頭貫の位置に取り付いています。

軒裏は二軒繁垂木。正面側は入母屋のような軒まわりとなっており、正面方向の垂木と側面方向の垂木を、斜め方向の隅木でさばいています。このような春日造は、隅木入り春日造と呼ばれます。

向拝の庇は、屋根の正面の幅いっぱいに設けるのではなく、やや内側から縋破風を伸ばしています。窪八幡神社(山梨市)末社の高良神社本殿も同様の造りをしています。

 

(※参考 熊野神社本殿(甲州市塩山)、鎌倉末期から室町前期)

比較用として、向拝の庇が正面の幅いっぱいに設けられた例を掲載しておきます。この熊野神社本殿は、隅木の先端近くから縋破風を伸ばしています。

こちらのほうが標準的な造りで、山梨岡神社本殿や高良神社本殿のような例は少数派だと思います。

 

母屋は正面1間、側面2間。

縁側(おそらくくれ縁)は3面にまわされ、跳高欄が立てられています。

母屋の手前には角材の階段が7段設けられ、昇高欄の親柱は擬宝珠付き。階段の下には浜床が張られています。

 

母屋の正面には板戸。

板戸の左右の欄間には、輪違の文様の羽目板が入っています。この時代の建築ではめずらしい意匠かと思いますが、同時代のものと考えられる田村堂(長野県松本市)*3にも同様の意匠があります。

 

扉の上の中備えは蟇股。唐草と宝珠らしき彫刻が入っています。

 

側面は2間で、柱間は横板壁。

 

柱は円柱で、軸部は長押と貫で固定されています。

側面も中備えに蟇股があり、菊や唐草の彫刻が入っています。

 

反対側、左側面(南西面)後方の軒下。

頭貫に木鼻は使われていません。

柱上の組物は木鼻のついた出組。

蟇股と軒桁のあいだには、軒支輪が使われています。

 

背面は2間。

柱間は横板壁で、中備えの蟇股は省略されています。

 

妻飾りは二重虹梁。

大虹梁の上に2つの連三斗が乗り、その上では虹梁大瓶束が組物を介して棟木を受けています。

 

背面の破風板には、蕪懸魚が3つ下がっています。

 

以上、山梨岡神社でした。

(訪問日2024/03/16)

*1:附:棟札2枚(1862年と1854年のもの)

*2:春日居町(現 笛吹市)教育委員会による設置

*3:仏堂というよりは厨子に近い