甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【下諏訪町】諏訪大社下社秋宮の境内社と「いいなり地蔵」

今回は諏訪大社下社秋宮の境内にある摂社末社と、その近くにある「いいなり地蔵(言成地蔵尊)」について。

 

小安社

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下社秋宮の幣拝殿の向かって左側、二之御柱の前に、流造(ながれづくり)かつ見世棚造(みせだなづくり)の末社が2軒ならんでいます。

写真右の社殿は、いちおう間口の柱間が3間あるので、末社ではありますが三間社流造と呼んでも良さそうです。流造の社殿は別段めずらしくもないですが、三間社の流造は、諏訪地域だと私の知る限りではここくらいしかないので、ちょっと希少かもしれません。

左側の一間社は鹿島社、右側の三間社は、左から小安社、賀茂上下社、八坂社です。

 

三間社の右端に祀られている小安社には棚が設けられており、底の抜けた柄杓(ひしゃく)が大量に置かれています。これは安産祈願のために奉納されたもの。

 

八幡社と恵比寿社

下社秋宮の正面の鳥居を出て、駐車場のあるほうへ向かうと、岡のような地形の場所に2つの摂社が鎮座しています。

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まずこちらは八幡社。銅板葺の一間社流造。

諏訪大社の摂社の柱はほとんどが角柱のみで構成されていますが、この八幡社は母屋(身舎)にしっかりと円柱(丸柱)が使われています。おそらく、この境内の摂社末社の中でも格の高い社殿なのでしょう。

組物があったり虹梁に彫刻があったりするだけでなく、木鼻に象のような意匠の彫刻がされている辺り、他の摂社末社よりも明らかに手が込んでいます。

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床下。

大規模な神社本殿でも「床上は円柱だが床下は八角柱」という“手抜き”が珍しくないのですが、そういった手抜きの跡がこの社殿には見当たりません。

 

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続いて恵比寿社。正面1間、奥行き1間、妻入の切妻。

特にこれと言った建築様式には該当しないですが、直線的な妻入の屋根に千木と鰹木がのっているあたり、住吉造(すみよしづくり)や大鳥造(おおとりづくり)を簡略化した感じに見えなくもないです。

この社殿にはタケミナカタ(諏訪大社の祭神)の父であるオオクニヌシ(大国主)が祀られており、出雲大社と美保神社から分霊されたとのこと。

 

いいなり地蔵

所在地:〒393-0000長野県諏訪郡下諏訪町木の下5729

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今回の首題であるいいなり地蔵は、下社秋宮の境内を出て南へ100メートルほど歩いた先にあります。

「誰の願いも言うなりに叶えてくれるので言成地蔵尊。」とのこと。

 

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質素な地蔵堂をのぞき込むと、内部には石仏がありました。

ご尊顔は掲載しないでおきますが、普通の地蔵とちがって雨ざらしにされていないぶん、きれいな状態で保たれているように見えました。

このあたりは元々は下社秋宮の神宮寺だったのですが、神仏分離で神宮寺が廃止になり、いいなり地蔵は廃仏毀釈から逃れるため別の場所に移動させられたようです。しかし、いいなり地蔵は毎日少しずつ元あった場所のほうへずれて行くので、信者たちが地蔵の心中を察して現在地に戻したとのこと。

 

以上、諏訪大社下社秋宮の境内社と「いいなり地蔵」でした。

(訪問日2019/06/15)