世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲州市】景徳院 ~武田氏滅亡の地~

今回は山梨県のマイナー観光地ということで、景徳院(けいとくいん)について。鎮座する場所の地名から“田野寺”の別名もあります。

 

景徳院は笹子峠(甲府盆地と大月の間にある峠)に程近い場所にあり、甲斐国を治めた大大名・武田氏が滅亡した地として知られています。そして武田勝頼の墓があるため、武田ファンおよび勝頼ファンなら必ず訪れておきたい場所ですね。

 

山梨県、特に甲府盆地の一帯は何につけても武田信玄を持ち出しますが、甲州市の旧大和村は景徳院があるため武田勝頼を推しているらしく、甲斐大和駅の近くなどに勝頼の像が置かれています。

武田勝頼は母が信州の諏訪家の出身で、諏訪四郎(すわしろう)という別名もあります。そういう理由もあって、諏訪に住んでいる私は勝頼を推している大和村になんとなく親近感を覚えます。

景徳院へのアクセスは、最寄りの甲斐大和駅から徒歩40分程度。車の場合は、国道20号線に“景徳院入口”という交差点があるので簡単に行けます。駐車場は30台分程度。

 

f:id:hineriman:20190508121323j:plain

こちらが景徳院の入口。

境内の近くを流れる日川(にっかわ)には“三日血川”(みっかちがわ)という物騒な別名があり、武田勝頼が絶望的な退却戦を続ける中、一騎当千の働きで追手と戦った忠臣の伝説が残されています。詳細は割愛しますが、気になる方は“天目山の戦い”とか“片手千人斬り”とかで検索してみて下さい。

 

f:id:hineriman:20190508121353j:plain

山門(仁王門)。景徳院はたびたび火災に見舞われたようですが、この山門だけは焼失を免れていて、開基された安土桃山時代から残っているとのこと。

 

f:id:hineriman:20190508121416j:plain

f:id:hineriman:20190508121426j:plain

甲将殿。その裏には勝頼らの墓。中央が勝頼、左は子の勝信、右は継室の北条夫人。

ちなみに、“景徳院”は勝頼の戒名でもあります。

 

f:id:hineriman:20190508121447j:plain

本堂は何度も焼失しているため、さほど古いものではありません。

f:id:hineriman:20190508121457j:plain

本堂の向かって左側にある松の木は“旗竪松”(はたたてのまつ)と呼ばれていたはずなのですが、切り株だけが残されていました。3年くらい前に来たときは松の木と案内板があったと思うのですが、どうしてでしょう...?

案内板がないので旗竪松の伝説について記憶を頼りに補足すると、「最期を悟った勝頼が、武田家当主の証である家宝の旗と鎧を子の勝信に授け、当主継承の儀式を行ったのち自害した」という内容です。この近くには“生害石”(しょうがいせき)という岩があり、そこで勝頼親子は切腹したと伝えられています。聞くも涙、語るも涙ですね。

感動的な話に水を差すようで悪いですが、この手のドラマチックな伝説はほとんどが後世の読み物や芝居のための作り話であり、実話ではないので、あくまでも伝説として楽しむに留めておくのが無難です。

なお、生害石については、他に行きたい場所があって失念していたのでスルーと相成りました。ご了承下さい。「生害石が気になる!」という方は、自覚が無くても勝頼ファンですので、実際に現地に赴いてみることをお勧めします。

このお寺は建築を楽しむよりは、歴史のロマンに想いを馳せる場所、といった感じですね。

 

最後に私見を述べますと、武田勝頼は家を滅ぼした当主ではありますが、それだけで無能と断言するのはあまりにも全時代的で非情だと思います。近年は再評価が進んでいますし、山梨県は信玄ばかりではなく勝頼も推して欲しいものです。

 

以上、景徳院でした。

(訪問日2019/04/27)