今回は長野県長野市の善光寺の境内周辺について。
とはいえ普通の解説はすでに先人たちによって語り尽くされているので、当記事では観光ガイドで語られない裏の小ネタを、長野市で生まれ育った筆者が語っていきます。
交差点に隠された鳩
“裏案内”とか行っておきながら、まずは表参道の小ネタです。ここは善光寺表参道の最後の信号で、車で進入できるのはここまで。これ以降は石畳の歩道になります。多くの観光客は、この1つ手前の大門交差点でバスを降り、参道を上ってゆくことになると思います。
話が少し変わりますが、下の写真は善光寺山門の2階で、ここに掲げられている額の「善光寺」のフォントは点が鳩の形になっていることで知られています。おそらくこの話は長野市民なら耳にタコができるくらい聞かされていることでしょう。私自身、この話をドヤ顔で語っている人を見るたびにウンザリします。
さて、善光寺交差点に話を戻しますが、ここの交差点の「善光寺」の表示を拡大すると、
ここにも鳩が居ます。文字の点をよく見ると鳩のシルエットになっていることがお分かり頂けるかと思います。
おそらくここの交差点のために作られた、専用のフォントなのでしょう。
また、この交差点には“道路原標”があります。これは道路の起点の目印で、つまり長野市の道路はここをスタート地点にして作られているということです。
“全ての道はローマに通ず”と言いますが、長野市に限っては例外で善光寺に通じているというわけですね!
釈迦堂
表参道の次は仲見世、ぜんぜん“裏”じゃないですね。
ここの仲見世は土産屋や飲食店が立ち並んでいて、買物する気が無くても目移りしてしまいます。
そんな仲見世の途中に、東側に折れる横丁のような道があります。その奥にあるのが釈迦堂です。
“重要文化財”と書かれた案内板がありますが、この豪華な釈迦堂のことではなく、堂内に納められている仏像が国重文指定されています。仏像は釈迦の涅槃像で、6年に1度の御開帳のときしか見られない秘仏です。私は前々回の御開帳のときに拝観したのですが、北側(写真左側の方角)に頭を向けて横たわっていて、大きさは実物の人間と同じくらいで全身金色の像でした。
御開帳の善光寺を訪れた際は、是非ともこの釈迦堂の涅槃仏も見てみて下さい。回向柱を撫でただけで帰ってしまうのは非常に惜しいですよ!
駒返りの橋 境内での禁止事項
ここは山門の前。この石橋の伝説も、長野市民なら聞き飽きたことと思います。知らない人のために要約すると、源頼朝が善光寺に馬で乗り入れたところ馬の足が石にはまって動けなくなった、というものです。
そしてこちらが馬の足がはまったとされる石です。いかにも作り物っぽいと思うのは私だけでしょうか?
あと、源頼朝は落馬が原因で死亡したという説もありますが、もしかしたらこの橋と関係が有ったり無かったりするかもしれないです。
駒返りの橋のすぐ近くにあった看板。喫煙禁止、飲食禁止、自転車の乗り入れ禁止、不法投棄禁止、そしてドローン禁止。前回(2015年)の御開帳のとき、ドローン墜落事件がありましたからね。
もしかしたらこのドローン墜落事件も後世になにかしらの伝説として語られることになる可能性があるかも... 先述の馬の足の石が「ドローンの墜落した跡」だといった感じで...
歴史の捏造もほどほどにして、次の項目では本当に善光寺の“裏”に行きます。
善光寺本堂の裏にあるもの
文字通り、善光寺の裏です。本堂を正面から撮った写真はよく見ますが、裏側はあまり写真にならないですよね。裏から見ると平入りの入母屋にしか見えません。
ちなみに、善光寺本堂は正面側が妻入、奥側が平入で、棟がT字になっています。この独特の構造を“撞木造り”(しゅもくづくり)と言います。
男性諸君はデートなんかで善光寺に来たとき連れの女性に“撞木造り”について語ってみて下さい。 「そう...(無関心)」といった感じでスルーされること請けおいですよ!
また、2階建てのように見えますが実際は巨大な平屋で、1階の屋根に見えるのは裳階(もこし)という庇(ひさし)の一種です。とうもろこし(植物)とは無関係です。
善光寺本堂のような巨大建造物にもなると、縁側や階段まで雨が吹き込んでしまうため、裳階を設けているというわけです。あと、単純に外観を立派に見せるのも目的の1つですね。裳階は善光寺の他にも様々な寺院建築に使われているので、2階建て以上に見える仏堂を見かけたら「屋根じゃなくて裳階かも?」と疑ってみると面白いかもしれません。
男性諸君はデートなんかで善光寺に来たとき連れの女性に“裳階”について語ってみて下さい(以下略)
本堂の建築様式についてはこの辺で切り上げるとして、本堂の裏側にはこのような石塔が多数並んでいます。どういった縁があってなのかは解りませんが、この石塔は江戸幕府大奥の関係者の墓のようで、3代将軍・家光の乳母の春日局もここに埋葬されているとのこと。いずれにせよ、善光寺は江戸幕府からの信仰が篤かったのは確かです。
役目を終えた回向柱(えこうばしら)
6年に1度(数え年で7年に1度)行われる大イベント・御開帳。その象徴とも言えるのが、御開帳のときだけ本堂の前に立つ回向柱ですね。私も御開帳のときは一家総出で早起きして境内に乗り込み、必ず柱の四面を撫でて行きます。柱を撫でると善光寺の本尊である阿弥陀如来との縁がうんぬん、とかいった話がありますが、ここでは省略します。
そんな有り難い回向柱ですが、御開帳が終わったあとは一体どこへ行くのでしょうか? その答えがここにあります。
ここは本堂の向かって左手、国重文である経蔵(輪蔵)の裏手で、境内の西の端です。この場所に、役目を終えた回向柱が立ち並んでいます。写真右へ行くほど古いもので、まず頭のほうから朽ちて行き、そのあとに内部が空洞になり、そして土に返るようです。
こちらの右端が最も古いと思われる柱(だったもの)です。いつものものかは明記されていないですが、この場所には10本の柱が立っていたので、いちばん古い柱は60年以上前のものと推測できます。
牛(ホルスタイン)に引かれて善光寺参り
善光寺を象徴する動物といったら、鳩と牛ですね。“牛に引かれて善光寺参り”については有名な話ですし布引観音の記事でも大まかに語っているのでここでは省略します。
鳩なら境内にいっぱい居ますが、さすがにここはインドじゃないので牛がうろついていたりはしません。その代わりなのか、本堂の裏手の三重塔(宝物館を兼ねた慰霊塔)の近くに訳アリな感を隠しきれていない牛の像があります。
この牛に引かれて善光寺に来たんですねー、なるほどー... んなわけないだろ!
左が善子さん、右が光子さんで、2頭あわせて善光というわけですね。森永乳業の寄贈だそうです。それは良いとして、どう見ても乳牛だし、昔話にホルスタインとか想像するだけでもシュールです。
境内の裏手のほとんど目立たない場所にありますが、どうしてこんな場所に置かれているのか、その理由は推して知るべし...
(訪問日2019/04/16)