甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【岡崎市】妙源寺

今回は愛知県岡崎市の妙源寺(みょうげんじ)について。

 

妙源寺は岡崎市の住宅地に鎮座する浄土真宗の寺院です。山号は桑子山。

創建は1258年とされ、安藤信平によって開かれた妙眼寺が前身。三河一向一揆のさいに徳川家康を助けたため現在の寺号に改称し、江戸期には幕府から庇護を受けたようです。寺宝として多数の文化財を有し、伽藍は室町中期の柳堂が国重文に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒444-0931愛知県岡崎市大和町沓市場65(地図)
アクセス 西岡崎駅から徒歩5分
岡崎ICから車で20分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

薬医門

妙源寺薬医門

妙源寺の境内は南東向き。

境内入口には桟瓦葺の薬医門。

 

楼門

妙源寺楼門

薬医門をくぐると境内が二手にわかれています。まずは楼門と本堂のほうから。

楼門は桟瓦葺の入母屋。三間一戸の楼門。柱は円柱。

 

楼門下層

下層。

石の台に柱が立てられ、軸部は前後に連結されています。軸部を左右につなぐ貫がないのがちょっと変わっています。

 

楼門下層

柱の上部は虹梁(こうりょう)でつながれ、虹梁の木鼻は渦状の繰型のついた拳鼻。

柱上の組物は三手先で、持ち出された桁が上層の縁側を支えています。組物と組物のあいだには間斗束(けんとづか)。

 

楼門上層

上層。組物の下に後補と思われるつっかえ棒が設けられています。

中央の間口の柱間(写真右)は両開きの桟唐戸(さんからど)。そのほかの柱間は壁板が横方向に張られています。

頭貫の木鼻は拳鼻で、柱上の組物は和様の尾垂木が出た三手先。組物のあいだには間斗束。軒裏は二軒の平行繁垂木。

 

本堂

妙源寺本堂

楼門の先には本堂が鎮座しています。本尊は阿弥陀如来。

本堂は桟瓦葺の入母屋(平入)。向拝1間。

広々と横に伸びた向拝と、極太の水引虹梁が力強い印象を与えます。

 

四脚門

妙源寺四脚門

境内の南側には四脚門と国重文の柳堂があります。

四脚門(よつあしもん)は鉄板葺の切妻。一間一戸、柱はいずれも円柱。

たいていの四脚門は前後の控柱に角柱を使うのですが、この門は円柱が使われています。

 

妙源寺四脚門

控柱についた木鼻は拳鼻。柱上には出三斗(でみつど)が置かれ、手挟(たばさみ)が軒裏を受けています。

親柱と梁の上では、大瓶束(たいへいづか)に載せられた出三斗が棟を受けています。

 

柳堂

妙源寺柳堂

門の奥には柳堂(やなぎどう)が鎮座しています。柳堂という名前は、堂の前に柳の大樹があったのが由来。

柳堂は檜皮葺の寄棟(平入)、向拝1間。正面3間・側面3間の方三間。

国指定重要文化財。附(つけたり)に厨子と須弥壇と棟札があるようです。

案内板によると、造営年代は室町中期の1400年代前半とのこと。詳細および内部の様子は下記のとおり。

(※前略)

建立年代は明らかではないが、残存する棟札によると、現在の堂は正和三年(1314)から慶長十八年(1613)までの再建と考えられる。三間四方、寄棟造、檜皮葺、向拝一間付で、内部は仏壇表に禅宗様須弥壇を置き、その上に一間入母屋造の厨子を安置し、簡素な棹縁天井が低く張られている。様式的には十五世紀前半(室町時代)のものであり、浄土真宗寺院の初期の建築様式がよく残る、きわめて貴重な建造物である。

明治三十六年四月十五日指定

岡崎市教育委員会

 

妙源寺柳堂

建築様式は寄棟ですが、屋根がやや高めに造られているからか大棟が短くなっています。屋根の四隅は軽めの反りがついています。室町期らしい調和の取れたバランスだと思います。

手前の石柱は「國寶柳堂」。ここでいう国宝(國寶)は戦前の法律で指定されたいわゆる旧国宝で、現在の国重文のこと。

 

柳堂向拝

向拝の軒下。

向拝の桁を支える向拝柱は、無地の虹梁でつながれています。虹梁の中備えには蟇股(かえるまた)が配置されており、内側には題材不明の植物が彫られています。室町中期のものなので彫刻はあまり立体的な造形ではありません。

 

柳堂向拝

向拝柱はC面取り(角面取り)された角柱。C面の幅が大きく取られています。このC面の幅は時代が下るにつれて小さくなってゆく傾向があります。

案内板によれば室町中期の造営とのことですが、おそらくこの面取りや前述の蟇股から年代を推定したのでしょう。

 

虹梁の木鼻は拳鼻。うっすらと繰型(渦巻きの彫り)がついています。

柱上の組物は連三斗(つれみつど)。

 

柳堂側面

母屋の右側面。

柱間は桟唐戸、蔀戸、横板壁が立てつけられています。

軸部は貫と長押で固定されていますが、頭貫には木鼻がついていません。

母屋柱は円柱で、柱上の組物はシンプルな三つ斗。組物のあいだには間斗束。軒裏は二軒の平行繁垂木。

 

桟唐戸は禅宗様の意匠ですが、それを除けばほとんどが和様の意匠で構成されており、室町初期にしてはやや古風な造りと言えるのではないでしょうか。

 

柳堂背面

背面。中央には桟唐戸がついています。

軒下の意匠は正面や側面と同じ。

縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。床下は縁束。

 

以上、妙源寺でした。

(訪問日2020/09/12)

【岡崎市】菅生神社

今回は愛知県岡崎市の菅生神社(すごう-)について。

 

菅生神社は岡崎の中心市街に鎮座しています。

創建は伝承によると景行天皇とヤマトタケルの時代にさかのぼるようで、市内最古の神社とのこと。境内は何度か移転しており、現在地に移ったのは明治期で、現在の社殿は戦後のものです。

 

現地情報

所在地 〒444-0052愛知県岡崎市康生町630-1(地図)
アクセス 東岡崎駅から徒歩10分
岡崎ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト 菅生神社-公式
所要時間 10分程度

 

境内

参道

菅生神社鳥居

菅生神社の境内は南向き。岡崎市内を流れる乙川に向かって立っています。

鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「菅生神社」。貫には三つ巴が彫られています。

 

菅生神社手水舎

参道の右手には手水舎。桟瓦葺の切妻。

岡崎市を代表する神社のひとつのだけあって、手入れが行き届いています。

 

拝殿と本殿

菅生神社拝殿

拝殿は桟瓦葺の切妻。

内部にかけられている垂れ幕の紋は、花びらが5つある織田木瓜でした。意外にも三葉葵ではありません。

 

菅生神社本殿

拝殿の後方には本殿と思しき社殿。

桟瓦葺の入母屋(平入)、正面に軒唐破風(のき からはふ)。

祭神はアマテラス、トヨウケ、スサノオのほか、天神と東照権現も祀られているようです。

 

神社本殿で瓦葺というのはめずらしいですが、観察してみると縁側がなくて本殿らしくない造り。私の予想だとこれは覆い屋で、内部に小さめの本殿が納められているのだと思います。

 

慰霊社

菅生神社慰霊社

拝殿の右隣には慰霊社があります。拝殿と本殿(?)はあっさりした造りでしたが、こちらは彩色された彫刻があり、凝った造りをしています。

慰霊社は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。名前からして戦後にはじめて造られたものでしょう。

 

慰霊社向拝

軒を支える向拝柱は、C面取りされた角柱。柱上の組物は連三斗(つれみつど)。

2本の向拝柱は虹梁(こうりょう)でつながれ、虹梁の上の中備えには「波に鴛鴦(おしどり)」の題材が彫られた蟇股(かえるまた)が配置されています。虹梁両端の木鼻は赤く彩色された唐獅子。

 

慰霊社向拝

母屋(左)と向拝柱(右)は湾曲した海老虹梁でつながれています。海老虹梁は母屋の頭貫の高さから出て、向拝柱上の組物の高さに降りています。手挟はありません。

母屋の正面は両開きの板戸。扉の上の扁額の影に彩色された蟇股が見えますが、題材は不明。

 

慰霊社妻壁

母屋の頭貫の木鼻は拳鼻。柱上の組物は出三斗(でみつど)。

虹梁の上には笈形(おいがた)のついた束が立てられています。束は上端に赤い花びらのような意匠が付いたもの。束の両脇の笈形は、赤い枠の内部に緑色のツタの意匠が彫られています。

寺社の妻壁によくある「笈形付き大瓶束」とはちょっとちがった構成をしていて、少し風変わりだと思います。

 

破風板は赤く塗装され、拝みには懸魚(げぎょ)。軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。

 

慰霊社脇障子

縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄(はねこうらん)、縁の下は縁束。

縁側の終端には脇障子が立てられ、彫刻がはめ込まれています。彫刻はやや退色が進んでいますが、梅らしき木に鳳凰がとまった構図。

 

以上、菅生神社でした。

(訪問日2020/09/12)

【岡崎市】六所神社

今回は愛知県岡崎市の六所神社(ろくしょ-)について。

 

六所神社は岡崎の市街地に鎮座しています。

創建は松平清康(徳川家康の祖父)の代で、豊田市松平町にある六所神社を勧請したのがはじまりとのこと。徳川家の氏神として篤く崇敬され、幕府の保護を受けたようです。社殿は江戸初期のもので、非常によく整備された境内で国重文の楼門や社殿(権現造)を楽しむことができます。

 

現地情報

所在地 〒444-0864愛知県岡崎市明大寺町字耳取44(地図)
アクセス 東岡崎駅から徒歩5分
岡崎ICから車で10分
駐車場 40台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 六所神社 公式WEBサイト
所要時間 15分程度

 

境内

参道

六所神社鳥居

六所神社の参道は北向き、後述の社殿は西向きで、どちらもめずらしい方角を向いています。

一の鳥居は木造の両部鳥居。前後の稚児柱に八角柱が使われたタイプ。扁額は「六所神社」。

鳥居の向こうには踏切があり、名古屋本線が参道を横切っています。

 

六所神社参道

鳥居をくぐって踏切を渡ると参道が松並木になります。

駐車場はこの先にあります。

 

六所神社鳥居

社地に入ると参道がアスファルトから玉砂利にかわります。

二の鳥居は石造の明神鳥居。

 

六所神社手水舎

参道の右手には手水舎。鉄板葺の入母屋。

手水舎にしては大きめで凝った造り。しっかりと水が出ていて管理状態も良好。

 

楼門

手水舎をすぎると参道が左手に90度折れて西向きになり、石垣の上に楼門が建っています。

六所神社楼門

楼門は檜皮葺の入母屋。正面3間・側面2間、三間一戸の楼門。

1688年(元禄元年)の造営で、5代将軍・徳川綱吉の命で造られたもの。国指定重要文化財(国重文)。

 

神社にあるこの手の門はたいてい神像が置かれていて「随神門」と呼ばれるのですが、この門には神像がないからなのか、ただ単に「楼門」と呼ばれているようです。

 

楼門下層

楼門下層

下層。

柱はいずれも円柱。軸部は貫で固定され、頭貫には渦巻きの繰型が彫られた拳鼻がついています。

柱上の組物は三手先。持ち出した桁で上層の縁側を支えています。組物のあいだには蟇股(かえるまた)と巻斗(まきと)が配置され、蟇股は内部に彩色された彫刻があります。彫刻の題材は鳳凰や波などさまざま。

 

楼門上層

上層。扁額は「六所大明神」。

柱上の組物は、雲状の尾垂木が出た三手先。組物のあいだには間斗束(けんとづか)。桁下には軒支輪。軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。

 

楼門隅木

母屋の隅から斜めに突き出た尾垂木の上には、彩色された力神が座って隅木を支えるポーズをしています。

このような力神は甲信地方ではまったく見かけませんが、同市内の伊賀八幡宮随神門(江戸初期)や滝山寺三門(鎌倉後期)にもあったので、岡崎の周辺ではめずらしくない意匠なのかもしれません。

 

楼門側面

右側面(南面)。

頭貫の下には長押が打たれ、頭貫の上の組物と間斗束のあいだには牡丹が描かれています。

 

楼門屋根

破風板は黒く塗られ、装飾の金具と懸魚(げぎょ)がつけられています。

入母屋破風の内部には黒く塗られた豕扠首が見えます。

 

神供所

六所神社神供所

楼門の左隣には神供所(しんくしょ)があります。

とち葺の入母屋。柱は角柱。写真左の2間は土間、その右の2間は畳、右端の1間は1段高い畳の間とのこと。

1636年の造営で、国重文

 

神供所蟇股

この社殿は大部分が無塗装の素木となっていますが、頭貫の上の蟇股だけは彩色され彫刻も入っています。写真の彫刻は、唐獅子。

 

拝殿・幣殿・本殿

六所神社拝殿

六所神社の社殿(拝殿・幣殿・本殿)は楼門のすぐうしろにあります。写真は拝殿部分

拝殿は檜皮葺の入母屋(平入)、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のき からはふ)。正面5間・側面3間、向拝1間。

拝殿・幣殿・本殿が一体化しており、三者とも1636年(寛永13年)の造営。3代将軍・徳川家光の命によって造られたもの。棟梁は遠州大工の鈴木近江守長次とのこと。拝殿・幣殿・本殿あわせて1棟で国指定重要文化財となっています。

 

拝殿向拝

拝殿の向拝。

軒を支える向拝柱は几帳面取りの角柱。几帳面が黒く塗り分けられています。

柱上の組物は連三斗(つれみつど)で、赤青緑と白で極彩色に塗り分けされています。これは室町後期から江戸初期あたりの作風。

虹梁(こうりょう)の上の中備えには蟇股が置かれ、竜が彫られています。虹梁の両端の木鼻は唐獅子。

緑の若草の模様がついた桁の上には大瓶束(たいへいづか)が立てられ、その左右には波に浮かぶ蓮の花。

唐破風の黒い破風板には、金色の菊らしき彫刻がつけられています。

 

拝殿向拝

向拝柱と母屋をつなぐ虹梁はありません。

向拝柱の組物の上では、牡丹が彫られた手挟(たばさみ)が軒裏の垂木を受けています。

 

拝殿母屋

母屋柱は円柱。柱間は引き違いの蔀戸。

頭貫には拳鼻。組物のあいだには緑色の蟇股があり、その内部には鷹や牡丹などが彫られています。

軒裏は二軒の繁垂木で、垂木の先端が金色に装飾されています。

 

拝殿正面の破風

拝殿正面の軒唐破風(左手前)と千鳥破風(右奥)。鬼板には三葉葵の紋。

極彩色の彫刻や派手な破風板もさるものながら、檜皮葺の屋根の構成や曲面もみごと。

 

六所神社社殿

拝殿の後方には幣殿と本殿がつづいています。

 

六所神社社殿

左端が拝殿、右が本殿で、両者をつないでいるのが幣殿。権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる構造です。

権現造のなかには「幣殿などを後付けして権現造になった」という例(伊賀八幡宮など)がしばしばありますが、この六所神社は造営当初からこのような構造であり、権現造の好例といっていい物件です。

 

六所神社本殿

反対側(北面)からみた本殿。

本殿は檜皮葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面2間。

祭神はサルタヒコなど。

 

本殿妻壁

母屋柱は円柱。柱上の組物は出組で、やはり極彩色に塗り分けられています。組物のあいだには、唐獅子などの彫刻が入った蟇股。

組物によって持ち出された妻虹梁の中央には、金色のきらびやかな竜が浮き彫りになっています。

その上には間斗束とも笈形付き大瓶束ともつかない部材が棟を受けており、内側には紅白の牡丹が彫られ、外側にも花(題材不明)が描かれています。

 

本殿壁面

壁面。写真右のほうが正面側、左が背面側です。

派手な妻壁に対し、壁面はシンプルに黒塗りとなっています。向拝の柱間(写真中央)には、神社ではあまり使われない火灯窓が設けられています。

 

本殿背面

背面。縁側は4面にまわされています。欄干は跳高欄。縁の下には腰組と縁束。

側面と同様、背面にも極彩色の組物や蟇股が使われており、あまり人の目に当たらない場所でもいっさい手を抜いていません。

 

最後に余談になりますが、この六所神社は拝殿・幣殿・本殿を前後左右すべての方向から見ることができ、非常に鑑賞しやすい点が個人的に好印象でした。重文クラスの権現造を、背面や床下まで間近でしっかり見られる神社は希少だと思います。

 

以上、六所神社でした。

(訪問日2020/09/12)

【岡崎市】伊賀八幡宮

今回は愛知県岡崎市の伊賀八幡宮(いが はちまんぐう)について。

 

伊賀八幡宮は岡崎の市街地に鎮座しています。

創建は1470年で、松平親忠が氏神として八幡神を祀ったのがはじまり。その後、将軍となった徳川家康が社殿を改修しています。現在の社殿は徳川家光による改修・増築によるもので、国重文の随神門や権現造の社殿を見ることができます。

 

現地情報

所在地 〒444-0075愛知県岡崎市伊賀町東郷中86(地図)
アクセス 北岡崎駅から徒歩10分
岡崎ICから車で15分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 伊賀八幡宮
所要時間 15分程度

 

境内

参道

伊賀八幡宮鳥居

伊賀八幡宮の境内は南向き。道路の脇から参道が伸びています。

一の鳥居は赤い明神鳥居。扁額は「八幡宮」。

 

伊賀八幡宮参道

伊賀八幡宮鳥居

一の鳥居をくぐって参道を進むと赤い欄干のついた橋があり、その先には二の鳥居と蓮池があります。

二の鳥居は石造の明神鳥居。扁額はなく額束になっています。国重文

 

伊賀八幡宮蓮池

蓮池に架かった神橋(左手前)と随神門(中央奥)。

神橋は渡れず、池を迂回して進むことになります。

 

伊賀八幡宮神橋

神橋は1636年ごろのもので、幕府作事方の鈴木長次によって造られたものとのこと。こちらも国重文

よく見ると橋の下には虹梁(こうりょう)、(かえるまた)、大瓶束(たいへいづか)らしきものが、欄干には笈形(おいがた)のついた蓑束(みのづか)があり、木造の寺社建築の意匠が取り入れられていることがわかります。

 

随神門

伊賀八幡宮随神門

随神門は檜皮葺の入母屋、正面と背面に軒唐破風。正面3間・側面2間。三間一戸の楼門。

1636年の造営国重文

 

随神門下層

随神門下層

下層。柱はいずれも円柱。頭貫の木鼻は拳鼻。

柱上の組物は三手先。組物のあいだに配置された蟇股には竜、虎、鹿などが彫刻されており、鮮やかに彩色されています。

 

随神門上層

上層。軒唐破風がついています。扁額は「八幡宮」。

頭貫の木鼻は下層と同じ拳鼻ですが、上層では頭貫のすぐ下に長押(なげし)が打たれています。

柱上の組物は、和様の尾垂木が出た四手先。組物のあいだの蟇股は、内部に彫刻のない古風なもの。

軒裏は二軒(ふたのき)の吹寄せ垂木。

 

随神門隅木

斜め方向に突き出た尾垂木には力神が座り、軒裏の隅木を支えています。

 

随神門側面

右側面(東面)。

入母屋破風の内部には虹梁と蟇股が確認できます。

大棟の鬼板には徳川家の三葉葵。

 

随神門背面

背面。こちら側も屋根に軒唐破風がつけられていて、前後対称な造り。

上層は組物が四手先にもなっているため、頭でっかちになるのを避けるためなのか母屋が低くてつぶれたようなバランスになっています。

 

手水舎と境内社

伊賀八幡宮手水舎

随神門をくぐると参道の右手には手水舎。写真左は拝所。

 

伊賀八幡宮手水舎

手水舎は銅板葺の切妻。

あまり古いものには見えませんが、蟇股や笈形付き大瓶束の造形が良く、なかなか凝っています。

 

伊賀八幡宮境内社

拝所の右手には上総社。檜皮葺の一間社流造。西向き。

おそらく1636年の造営。簡素ですが神社本殿として古風かつ手堅い造りをしていると思います。

 

伊賀八幡宮境内社

拝所の左手には牟久津社。檜皮葺の一間社流造。東向き。

上総社とまったくと言っていいほど同じ造りで、上総社と向き合うように建っています。1636年の造営で市指定文化財。

 

伊賀八幡宮御供所

牟久津社の奥には御供所。こちらは国重文。

檜皮葺の入母屋。桁行5間・梁間2間。柱はいずれも角柱。

頭貫の上には彩色された蟇股があり、入母屋破風には金具のついたきらびやかな破風板や妻壁が見えるのですが、柵があってこれ以上近づけないのが残念。

 

拝殿・幣殿・本殿

伊賀八幡宮拝殿

伊賀八幡宮の拝殿は檜皮葺の入母屋(平入)、正面千鳥破風(ちどりはふ)。正面5間・側面3間、向拝1間。

1636年の造営。徳川家光の命により後述の本殿に増築したものとのこと。棟梁は遠州大工の鈴木近江守長次。国重文

屋根は四隅の軒先が軽く反った形状ですが、それに対して千鳥破風はむくりがついて少し角ばった形状をしている点が好対照。おもしろい千鳥破風だと思います。

 

拝殿向拝

拝殿も柵があるため間近で見ることはできません。写真はズームで撮影した向拝。

石灯篭の影になってしまいましたが、正面の虹梁は波に泳ぐ竜の姿が極彩色で描かれた派手なもの。虹梁の木鼻は白をベースとした彩色の唐獅子。虹梁の上の蟇股は何か彫刻がありますが、この距離では題材がわかりません。

柱上の組物は青と緑をベースに極彩色に塗り分けられ、こちらもまた派手なものとなっています。

 

伊賀八幡宮社殿

案内板によると社殿(拝殿・幣殿・本殿)は権現造とのことですが、正面から見ただけでは権現造かどうかわかりません。どうにかして幣殿と本殿を見られないかと思って伊賀八幡宮の敷地の周囲をまわってみたところ、近くの公園の敷地から塀越しに見ることができました。

写真左が拝殿、右が本殿で、両者をつなぐ屋根が幣殿。このように前後に並んだ拝殿と本殿を、幣殿で串刺しにして一体化した社殿のことを権現造(ごんげんづくり)といいます

 

なお、幣殿は檜皮葺の切妻(妻入)。国重文。

右の本殿を囲う透塀は檜皮葺で、こちらも国重文です。

 

伊賀八幡宮本殿

本殿は檜皮葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面2間、向拝は不明ですがおそらく3間。

1611年の造営。徳川家康の命により造られたとのこと。国重文

祭神は誉田別命などの八幡神のほか、東照権現(徳川家康)も祀られているようです。

 

妻壁には蟇股、出組、二重虹梁、笈形付き大瓶束が確認でき、いずれも極彩色に塗装されています。壁面は黒く漆塗りされていて、側面に板戸が設けられているのがわかります。

伊賀八幡宮公式サイトによると“権現造りの本殿は入母屋造が普通ですが、伊賀八幡宮は流造りになっている珍しい建物です”とのこと。とはいえ「本殿が流造になった権現造」というと同市の六所神社や、甲信の式内社だと玉諸神社(甲府市)や生島足島神社(上田市)などがあります。

 

以上、伊賀八幡宮でした。

(訪問日2020/09/12)

【岡崎市】大樹寺

今回は愛知県岡崎市の大樹寺(だいじゅじ)について。

 

大樹寺は市北部の市街地に鎮座している浄土宗の寺院です。山号は成道山。

創建は室町期。松平家の菩提寺として開かれ、家中から大樹(征夷大将軍の唐名)が出ることを願ったのが寺号の由来。現在の大樹寺は松平清康(徳川家康の祖父)が再興したもので、江戸期には歴代の将軍の位牌が納められています。

伽藍は室町後期の多宝塔が国重文になっているほか、多数の堂宇が市の文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒444-2121愛知県岡崎市鴨田町広元5-1(地図)
アクセス 大門駅から徒歩15分
岡崎ICから車で15分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト 大樹寺
所要時間 20分程度

 

境内

三門

大樹寺三門

大樹寺の境内は南向き。車道に面した正面口には三門が建っています。

この三門の下から南方を望むと岡崎城の天守が見えるらしいですが、よほど目の良い人でないと肉眼では見えないと思います。私の視力(両目0.1未満)では見えそうな気配すらしません...

 

三門は本瓦葺の入母屋。正面3間・側面2間で、三間一戸の重層門。

棟札より、造営年は1641年(寛永18年)。幕府からの命を受けた木原藤原朝臣義久と平内大隅守正信によって造られたようです。県指定有形文化財。

 

三門軒下

三門木鼻

 

下層(1階部分)の軒下。

柱は円柱で、上端がすぼまった粽(ちまき)になっています。柱の上端からは繰型のついた頭貫木鼻が突き出し、その上には台輪木鼻がのっていて、禅宗様の木鼻です。

柱上の組物は三手先。柱の真上でない場所にもびっしりと組物が配置されており(詰組という)、非常に情報量の多い派手な軒下になっています。

軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。垂木は平行に伸びています。

 

三門上層

上層(2階部分)。扁額は「大樹寺」。

柱は粽、禅宗様の木鼻、三手先で詰組である点は下層と同じです。

中央の柱間には両開きの桟唐戸(さんからど)、その左右には格子のついた火灯窓。組物は尾垂木が突き出たもので、軒裏は二軒の繁垂木ですが禅宗様建築の特色である放射状の垂木(扇垂木)となっています。

上層内部には釈迦三尊と十六羅漢の像が祀られているようです。

 

多宝塔

大樹寺多宝塔

三門の左手、境内の西端には多宝塔が鎮座しています。

檜皮葺、2層。全高は約13メートル。

心柱の銘より、1535年(天文4年)の造営とのこと。国指定重要文化財

 

多宝塔初重

初重は正面3間・側面3間の方三間。柱は円柱。四周に縁側がまわされています。

中央の柱間は両開きの板戸。その左右には盲連子(めくられんじ)の窓がついています。

軸部は長押(なげし)を多用して固定されており、頭貫は長押でカバーされているため木鼻がついていません。

柱上の組物は、和様の尾垂木(先端が平ら)が出た二手先。持ち出された桁の下には軒支輪。組物のあいだには蟇股(かえるまた)と間斗束(けんとづか)が配置されています。蟇股は内側に彫刻がありますが、室町期のもののため平面的な造形。

 

室町期の多宝塔ですが禅宗様の意匠がほとんど見られず、彫刻や装飾も控えめで、この時代にしてはかなり古風な造りをしています。

 

多宝塔二重

多宝塔なので二重は母屋と縁側が円形になっています。

こちらも長押を多用し、木鼻は使われていません。組物は和様尾垂木の四手先。

円形の母屋の組物が、軒裏に向かって正方形に展開してゆく様は壮観。この多宝塔は塀で囲われているので、真下から見上げられないのが少々惜しいです。

軒裏は二軒で平行の繁垂木。

 

多宝塔遠景

遠景。

初重の母屋に対して二重が極端に小さく、めりはりのついたシルエットが独特。多宝塔としては標準的なサイズですが、檜皮の屋根の美しさと独特なシルエットが印象的で、記憶に残る塔だと思います。

 

鐘楼

大樹寺鐘楼

多宝塔から三門にもどって本堂へ進むと、参道の右手に鐘楼があります。

鐘楼は本瓦葺の入母屋。下層は袴腰。

三門と同様に1641年の造営で木原・平内によって造られたもの。県指定有形文化財。

 

鐘楼軒裏

組物は和様の尾垂木の出た三手先。軒裏は二軒で平行の繁垂木。

柱の上部には長押が打たれ、木鼻はありません。組物のあいだには間斗束が立てられています。

年代や製作者は前述の三門と同じなのですが、三門は禅宗様の色が強いのに対して、こちらの鐘楼は禅宗様の色がほぼなく和様で造られているのが対照的。

 

本堂と開山堂

大樹寺本堂

境内の中心には大規模な本堂が鎮座しています。

本堂は本瓦葺の入母屋(平入)。向拝1間。1857年(安政4年)の再建

本尊は阿弥陀如来と如意輪観音。

 

本堂妻壁

入母屋破風の内部には虹梁や蟇股、大瓶束が見えます。なぜか銅板でカバーされているらしく、いずれも緑青の色になっています。

 

大樹寺開山堂

本堂の左奥には開山堂。桟瓦葺の宝形、方三間。

造営年は不明ですが、江戸初期の造営と考えられているとのこと(岡崎市教育委員会の案内板より)。市指定建造物。

 

開山堂母屋

これより先へは進めないため正面から見ることしかできませんが、中央の桟唐戸や、円柱の上端が粽になっている点が確認できます。左右の柱間は引き違いの板戸のようです。

こちらの堂は和様・禅宗様をバランスよく取り入れた折衷様の造りをしています。

 

以上、大樹寺でした。

(訪問日2020/09/12)

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