甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【台東区】浅草寺 その3(五重塔、薬師堂など)

今回も東京都台東区の浅草寺について。

 

その1ではアクセス情報および、雷門、宝蔵門、本堂について

その2では、二天門、浅草神社について述べました。

当記事では、五重塔や薬師堂などについて述べます。

 

五重塔

境内西側には五重塔が東向きに立っています。塔の手前には門があり、四天王寺(大阪市)のような配置。

五重塔は周辺を回廊に囲われていて、間近で見ることはできません。

RC造、三間五重塔婆、本瓦葺(アルミ合金瓦葺)。全高48メートル。

1963年再建。

 

再建前の五重塔は境内の東側にあったようで、1648年造営の建築でしたが、東京大空襲で焼失しています。

 

影向堂など

本堂の右側、境内北西の区画には、多数の堂や境内社が点在しています。

こちらは影向堂の池の手前にある銭塚弁財天。

一間社流造、正面軒唐破風付、桟瓦葺。

神社本殿ではめずらしい瓦葺で、箕甲瓦まで使われています。

 

破風板の兎毛通は竜の彫刻。

 

頭貫には拳鼻。

組物は出組。中備えは蟇股。

妻飾りは大きな蟇股が使われています。

 

影向堂の前の橋を渡ると、右手に九頭竜権現と金龍権現があります。

 

向かって右が九頭竜権現。

宝形、正面軒唐破風付、銅板葺。

宝形という寺院風の建築様式ですが、縁側をまわして背面側に脇障子を立てている点は神社風で、寺院とも神社ともつかない造り。宝形に軒唐破風をつけているのも風変わり。

 

向かって左は金龍権現。

下層は宝形、正面軒唐破風付、上層は六角円堂、銅板葺。

小規模な堂にはめずらしい、重層的な構造。上層だけ六角になっている点が風変わりです。下層は軒の出が深く、軒先が反っていて優美なシルエット。

 

軒裏は、下層が平行の二軒繁垂木。上層は一重の扇垂木になっています。

 

影向堂の手前には六地蔵石灯籠。

六角形の覆い屋の内部に石灯籠があるのですが、うまく写真が撮れなかったため内部は割愛。

この石灯籠は伝承によると平安時代から鎌倉時代にかけて作られたものらしいです*1。東京都指定史跡。

 

境内北西の区画の中心には影向堂(ようごうどう)

RC造、寄棟、本瓦葺。錣屋根。

屋根は2段に分かれた構造で、錣(しころ)屋根になっています。幅の短い大棟には金色の鴟尾(しび)が乗っています。

 

薬師堂

影向堂の南西には橋本薬師堂(はしもと やくしどう)

桁行3間・梁間3間、入母屋、本瓦葺。

1649年の再建とされ、浅草寺では二天門に次いで古い建築らしい*2ですが、改造が顕著なためとくに文化財指定はないようです。

 

正面中央の柱間。

長押の上の扁額は「薬師堂」。

組物は木鼻付きの平三斗。中備えは蟇股。

 

柱は円柱で、上端が絞られています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

隅の柱の組物は出三斗。

 

向かって右側面(東面)。

柱間は3間で、前方の1間は広く取られています。

 

東面中央の柱間の蟇股。

彫刻の題材はカキツバタ。

蟇股と組物は、通し肘木を共有しています。

 

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

淡島堂

境内の北西端の区画には、淡島堂(あわしまどう)が東向きに鎮座しています。

元禄年間(1688-1703)に、淡島神社(和歌山市)から勧請されたもの。本社の淡島神社と同様に、針供養が行われていたようです。

淡島堂は、入母屋、向拝1間、本瓦葺。

造営年は不明ですが、現在の浅草寺本堂が再建されるまでのあいだ、浅草寺の仮本堂として使われていたとのこと。その後は影向堂として使用され、現在の影向堂の再建に当たって現在地へ移築し、淡島堂となりました。

 

母屋の扁額は「淡嶋堂」。

虹梁中備えの蟇股は、松竹梅が彫られています。

 

向拝柱は几帳面取り。柱上は皿付きの出三斗。

側面には見返り唐獅子の木鼻。

柱と虹梁の接続部の持ち送りは、波に千鳥が彫られています。

 

母屋柱は角柱。柱上は実肘木。

欄間には緑色の菱連子が張られています。

 

淡島堂の手前には多宝塔。

 

弁天堂

浅草神社の南、境内東端の区画には弁天堂(べんてんどう)が西面しています。

 

宝形、向拝1間、本瓦葺。

扁額は「弁天堂」。

 

弁天堂の手前には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。

 

四隅に柱を立て、内部の梵鐘の四隅にも柱を立てて、貫で連結しています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。内部は棹縁天井。軒裏は二軒繁垂木。

 

浅草寺および浅草神社の境内については以上。

境外の川沿いにある駒形堂や、都指定文化財の六角堂については見落としてしまったため、再訪の機会があれば加筆したいと思います。

 

以上、浅草寺でした。

(訪問日2022/08/20)

*1:東京都教育委員会の案内板より。

*2:台東区教育委員会の案内板より。

【台東区】浅草寺 その2(二天門、浅草神社)

今回も東京都台東区の浅草寺について。

 

その1ではアクセス情報および、雷門、宝蔵門、本堂について述べました。

当記事では、国重文の二天門と浅草神社について述べます。

 

二天門

浅草寺の境内東端の出入口には、二天門(にてんもん)が東面しています。

三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。

1649年(慶安二年)頃の建立*1国指定重要文化財

 

東京都区内では貴重な江戸初期の建築。当初は、浅草寺境内社の東照宮の随神門だったとのこと。

すぐ近くにある本堂は空襲で焼失していますが、この二天門と後述の浅草神社は被災を免れ現存しています。

 

正面中央の柱間。扁額は「二天門」。

柱は円柱、柱上は出三斗。

 

向かって左の柱間。

頭貫に木鼻はありません。

組物のあいだの中備えは間斗束。組物と間斗束は、実肘木ではなく通し肘木を介して軒桁を受けています。

 

左側面(南面)。

左奥に見えるのは浅草寺本堂。

 

中央の主柱は棟の近くまで伸び、上端が絞られています。

妻飾りは二重虹梁のような構造。主柱と左右の柱とのあいだに短い虹梁がわたされ、虹梁の上には蟇股。蟇股の上から小さい海老虹梁が伸び、主柱に取り付いています。

 

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚が3つ。

 

内部。写真右が正面側。

中備えが間斗束で、通し肘木が使われている点は、外側と同様。

内部には2つの梁が並び、切妻の屋根が連続していて、M字型の化粧屋根裏となっています。その1で述べた雷門と似た構造。

 

背面。

神像を置く台座がない以外は、正面と同じ造り。

 

浅草神社参道

二天門の近くには、浅草神社(あさくさ-)があります。

浅草神社は、当初は浅草寺の鎮守社でしたが、明治初期の神仏分離令を受けて寺から分離独立しています。

祭神は檜前浜成・竹成(ひのくま の はまなり たけなり)兄弟と、土師真中知(はじ の まなかち)の計3柱。檜前兄弟は、隅田川で仏像を引き上げた漁師。土師真中知は、その仏像を本尊として浅草寺を開いた人物。

浅草神社の境内は南向き。

入口には石造の神明鳥居。右の社号標は「淺草神社」」。

 

参道右手には神楽殿。

入母屋(妻入)の屋根と低い切妻屋根を組み合わせた構造。屋根葺きは銅板。

 

手水舎は改修工事中でした。

屋根は切妻、銅板葺。

 

浅草神社社殿

参道の先には拝殿。

桁行7間・梁間3間、入母屋、向拝3間、本瓦葺。

1649年(慶安二年)頃の造営。「浅草神社 2棟」として国指定重要文化財

 

向拝柱は角面取り。江戸初期のもののため、やや大きく面取りされています。

側面には唐獅子の木鼻。

柱上の組物は連三斗。

 

虹梁の中備えは蟇股。怪鳥の彫刻が入っています。

 

向拝柱の上では手挟が軒裏を受けています。海老虹梁はありません。

手挟は菊の篭彫り。

 

母屋柱は面取り角柱。柱間は半蔀戸。

蔀の上の欄間の羽目板には、怪鳥と麒麟が描かれています。

組物は、隅の部分は出三斗、ほかは木鼻付きの平三斗。通し肘木を介して軒桁を受けています。

 

中備えの蟇股には、花鳥の彫刻が入っています。

こちらは正面向かって右端の柱間のもの。

彫刻の題材は、柑橘類の樹木と、メジロと思しき鳥。

 

向かって左の側面(西面)。

柱間は3間。軒下の意匠は正面とほぼ同じ。

縁側には、松の描かれた脇障子が立てられています。

 

拝殿の奥には幣殿と本殿があります。ただし、建物や木立にさえぎられ、細部の観察は不可能。

本殿はいちおうの姿かたちだけは見えます。拝殿と本殿のあいだにある幣殿については、まったく見えません。

 

幣殿は、梁間1間・桁行3間、前面入母屋、背面は本殿に接続、銅板葺*2

本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。

どちらも拝殿と同じく1649年頃の造営。「本殿及び幣殿」の名目で1棟とし、拝殿とあわせて「浅草神社 2棟」として国重文となっています。

手前から拝殿、幣殿、本殿の順で並び、幣殿と本殿が連結されて1棟になっている点は権現造に似ています。しかし拝殿と幣殿がつながっておらず、別棟になっているようなので、この社殿は権現造とは言えないでしょう。

 

被官稲荷社

浅草神社の裏手(北東)には、被官稲荷社(ひかん いなりしゃ)があります。

1854年(安政元年)に町火消の新門辰五郎という人物が、伏見稲荷大社から勧請したもの。

 

参道を数メートル進むと社殿があります。

手前の鳥居は新門辰五郎の寄進とのこと。

奥に見える本殿覆い屋は大正時代の造営のようです*3

 

覆い屋の妻飾り。

虹梁の下には、名称不明の意匠が2つ並んでいます。

虹梁の上には、豕扠首と大瓶束を組合わせた意匠があり、棟木を受けています。

破風板の拝みと桁隠しには、雲の意匠の懸魚。

 

本殿は、一間社流造、杉皮葺。

創建当初(1854年)の造営とのこと。

祭神はウカノミタマなどの稲荷神。

 

向拝には見返り唐獅子の木鼻や、篭彫りの持ち送りがついています。

 

くれ縁が3面にまわされ、背面側には脇障子が立てられています。縁の下は腰組。

組物は二手先。妻飾りは円柱の束。

 

屋根は、杉皮というめずらしい素材で葺かれています。こけら葺の一種といったところでしょうか。

大正時代に覆い屋がかけられたらしいため、この屋根は創建当初のものかと思われます。

 

二天門と浅草神社については以上。

その3では、五重塔や薬師堂などについて述べます。

*1:Wikipediaの浅草寺の記事(2022/08/31閲覧)によれば1618年の造営。

*2:文化遺産オンラインより。実物は未確認。

*3:台東区教育委員会の案内板より。

【台東区】浅草寺 その1(雷門、宝蔵門、本堂)

今回は東京都台東区の浅草寺(せんそうじ)について。

 

浅草寺は区の東端に鎮座する天台宗の単立寺院です。山号は金龍山。通称は浅草観音(あさくさかんのん)

創建は不明。伝承によると、推古天皇 三十六年(628)に隅田川で漁師の網に仏像がかかり、それを祀ったのがはじまりとのこと。

史料上の初見は『吾妻鏡』。鶴岡八幡宮の造営に際して当寺の宮大工を招いたとあり、浅草寺は平安後期には確立されていたと思われます。江戸時代には幕府の庇護を受けて境内伽藍が再建されましたが、そのほとんどは江戸期の火災や昭和の東京大空襲で焼失しています。

現在の伽藍のほとんどは昭和中期に鉄筋コンクリート造で再建されたものですが、雷門は都内でも屈指の知名度を誇る名所となっています。境内東側に並立する浅草神社の社殿と、その近くにある二天門は江戸前期のもので、国重文に指定されています。

 

当記事では浅草寺の主要な伽藍について述べます。

二天門や浅草神社については「その2」をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒111-0032東京都台東区浅草2-3-1(地図)
アクセス 浅草駅から徒歩1分
駐車場 なし
営業時間 境内は随時。本堂内部は06:00-17:00(10月-3月は06:30-17:00)。
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 浅草寺 :浅草寺 公式サイト
浅草神社:浅草神社 三社様
所要時間 1時間程度

 

境内

雷門(風雷神門)

浅草寺の境内は南向き。境内入口は浅草駅から地上に出てすぐの場所にあります。

境内入口には雷門(かみなりもん)。定番の撮影スポットのため、本堂よりも雷門周辺のほうが混雑しています。

 

雷門は、RC造、三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。

1960年再建。松下幸之助の寄進とのこと。

 

正面中央の柱間。扁額は山号「金龍山」。

 

向かって右の柱間。

飛貫と頭貫のあいだの欄間には、緑色の連子。

柱は円柱で、頭貫には木鼻。木鼻は渦状の彫刻が入り彩色されていますが、シルエットは大仏様木鼻に似ています。

柱上の組物は出三斗。中備えは間斗束。出三斗と間斗束は、通し肘木を介して桁を受けています。

 

右側面(東面)。

妻飾りは二重虹梁になっていて、虹梁の上に蟇股が配されています。

側面には中備えの間斗束はありません。こちらの組物は肘木がなく、虹梁を直接受けています。

 

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。拝みの懸魚には白い雲状の鰭がついています。

 

背面。

中央の柱間の中備えには蟇股が使われています。

 

内部の通路部分を見上げた図。写真左が正面側。

切妻の化粧屋根裏が前後に2つ連続していて、内部はM字型になっています。

 

内部の通路部分に配された蟇股。

頭貫の上の蟇股は、雷神の太鼓が彫られています。

 

雷門の先には仲見世が200メートルほど続いています。

浅草寺の仲見世は道幅が狭く、人の流れが遅く混雑しがち。土産物や食べ歩きに興味がないなら、平行する裏路地を進んだほうが快適です。

 

宝蔵門(仁王門)

仲見世を通り抜けた先には、雄大な宝蔵門(ほうぞうもん)が鎮座しています。別名は仁王門。

向かって左(西側)には五重塔が立ち、壮観の眺め。

 

宝蔵門は、RC造、五間三戸、二重、楼門、入母屋、本瓦葺(チタン瓦葺)。

1964年再建。

 

下層。正面5間のうち、3間が通路となっています(五間三戸)。

両端の柱間には仁王像。

 

内部は、格天井にちょうちんが吊るされています。

中央3間の通路部分は、虹梁の上に蟇股が配されています。

 

正面中央の柱間。

柱はいずれも円柱。この部分の柱のみ、手前に拳鼻がついています。

虹梁の上の蟇股は、赤色の花が彫られています。

 

向かって右端の柱間。

両端の柱間は虹梁のかわりに頭貫が使われています。

飛貫と頭貫のあいだには緑色の連子。頭貫の上の中備えは間斗束。

組物は三手先。柱に肘木がささっており、挿肘木という大仏様の技法が使われています。

桁下には軒支輪と、格子の小天井。

 

下層の右側面(東面)。

中備えは間斗束。

軒裏は二軒繁垂木。

 

上層。

屋根葺きは、軽量かつ腐食に強いチタン合金製の本瓦。粘土瓦(通常の瓦のこと)と遜色ない質感になるよう、表面処理が工夫されているとのこと。

 

上層。扁額は寺号「浅草寺」。

組物は和様の尾垂木三手先。こちらは挿肘木ではなく、大斗を使った通常の組物です。

中備えは間斗束。

頭貫に木鼻はありません。

 

上層の右側面。

組物や中備えは、正面と同様。

軒裏は、上層も二軒繁垂木。

 

破風板の拝みと桁隠しは、雲状の鰭のついた猪目懸魚。

破風板の奥の妻壁には、豕扠首。

 

右後方(北東)から見た全体図。

背面の両端の柱間には、巨大なわらじが吊るされています。

 

本堂(観音堂)

宝蔵門の先には本堂が鎮座しています。別名は観音堂。

本尊は絶対秘仏の観音菩薩像。

 

本堂は、RC造、桁行7間・梁間7間、入母屋、向拝3間、本瓦葺(チタン瓦葺)。

現在の本堂は、1958年再建。

再建前の本堂は1649年(慶安二年)の再建で旧国宝*1に指定されていましたが、1945年の東京大空襲で焼失しました。

 

向拝は3間。

雷門や宝蔵門と同様に、巨大なちょうちんが吊るされています。

 

向拝柱は唐戸面取り(几帳面のエッジを丸めたもの)。

側面の木鼻は、竜とも若葉ともつかない意匠のもの。

柱上の組物は出三斗。

 

向拝の中央の柱間。

虹梁は無地の材が使われています。

中備えは蟇股。彫刻は、若葉と花が彫られています。

 

向拝の軒下。

海老虹梁などの懸架材がなく、すっきりとした空間。

母屋の扁額は「観音堂」。

 

母屋柱は円柱。

軸部は長押で固定され、頭貫に木鼻はありません。

組物は和様の尾垂木三手先。組物で大きく軒桁を持ち出し、母屋と軒桁のあいだには格子の小天井が張られています。

中備えは間斗束。

 

母屋は正面側面ともに7間で、ほぼ正方形の平面。柱間は板壁と板戸が使われています。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

軒裏は二軒繁垂木。

 

破風板の拝みと桁隠しには、鰭付きの猪目懸魚。鰭は渦状の意匠。

妻飾りは二重虹梁。大瓶束や蟇股が使われています。

 

二重虹梁の中央部の蟇股。

たいていは花や鳥獣の彫刻が入りますが、この蟇股には力神が入っています。

 

背面。

柱間は、板戸や連子窓が使われています。

 

雷門、宝蔵門、本堂については以上。

その2では、二天門と浅草神社について述べます。

*1:現在の国指定重要文化財に相当する。

【垂井町】南宮大社

今回は岐阜県垂井町の南宮大社(なんぐう たいしゃ)について。

 

南宮大社は垂井町の南西部の山のふもとに鎮座する美濃国一宮です。

創建は不明。社伝によると、10代・崇神天皇の時代の創建とのこと。『延喜式』には美濃国一宮の「仲山金山彦神社」と記載され、平安時代には確立されています。1501年に火災ですべての社殿を焼失し、1511年に美濃国守護・土岐政房により再建されていますが、1600年の関ヶ原の戦いで再び焼失しました。

現在の社殿は1642年(寛永十九年)に、徳川家光の命を受けた岡田善政により再建されたもの。1868年(明治元年)には神宮寺(真禅院)が分離独立して移転しました。明治時代には「南宮神社」と称しましたが、戦後には「南宮大社」という現在の社号となっています。

境内や社殿は、前述のとおり江戸初期のもので、18棟が国重文となっています。主要な社殿は華やかな安土桃山時代の作風で造られ、その独特な造りは「南宮造」とも呼ばれます。

 

現地情報

所在地 〒503-2124岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1(地図)
アクセス 垂井駅から徒歩20分
関ケ原ICから車で15分
駐車場 200台(無料)
営業時間 06:00-17:30
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 南宮大社
所要時間 30分程度

 

境内

大鳥居

南宮大社の大鳥居。明神鳥居で、扁額はありません。

境内の北側200メートルほどの位置に、北向きに立っています。

写真には写り込んでいませんが、鳥居の手前には東海道新幹線の高架が通っています。

 

楼門

南宮大社の境内は東向き。入口には石輪橋と楼門があります。

楼門は、三間一戸、楼門、入母屋、檜皮葺。

1642年(寛永十九年)再建。「南宮神社 18棟」*1として国指定重要文化財*2

手前にかかっている石輪橋も同年の造営で、同様に国重文。

 

下層。

柱は円柱。頭貫に木鼻がなく、和様の意匠で構成されています。

組物は二手先。中備えは蟇股。

 

正面中央の柱間の蟇股。

彫刻は、鶴に乗った仙人が題材。

 

上層。

柱は円柱。こちらも木鼻がありません。

正面中央の柱間は板戸。

 

組物は尾垂木三手先。

中備えに蟇股はなく、間斗束が立てられています。

桁下は、軒支輪と格子の小天井。

軒裏は二軒繁垂木。

 

側面。

縁側は切目縁。欄干は跳高欄。

 

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。

大棟は箱棟になっていて、菊の紋が描かれています。

 

背面は、正面とほぼ同じ造り。

 

手水舎

楼門をくぐると、右手に手水舎があります。

切妻、桟瓦葺。

楼門などの社殿と統一して、赤をベースとした極彩色となっています。

なお、こちらの社殿はとくに文化財指定はないようです。

 

柱は角柱。面取りの幅はやや大きめで、江戸初期の作風にあわせたのかもしれません。

頭貫と台輪には木鼻。大仏様とも禅宗様ともいえない微妙な形状。

柱上の組物は出三斗。

 

中備えは蟇股。幾何学的な若葉の意匠で、やや古風です。

妻飾りは笈形付き大瓶束。束の左右の笈形は、鳳凰の意匠。

 

高舞殿

楼門の先には高舞殿(こうぶでん)。

桁行3間・梁間3間、宝形。

1642年再建。「南宮神社 18棟」として国重文。

 

建築様式は宝形。基本的に寺院で採用される様式で、神社での採用はめずらしいです。

四方に壁がなく吹き放ちで、神楽殿や舞屋に相当する社殿のようです。

 

正面向かって左側。

柱は円柱で、上端が絞られています。頭貫には木鼻。

柱上の組物は、出三斗と平三斗。

頭貫の上の中備えは蟇股。彫刻の題材は干支で、こちらは辰(竜)。

軒裏は、二軒の吹寄せ垂木。

 

正面中央。

こちらは頭貫の下の飛貫が省略され、そのかわり、頭貫の下部に持ち送りが添えられています。

蟇股は卯(兎)。

 

左側面(南面)。

蟇股は右から巳、午、未。

内部は格天井になっています。

 

拝殿と回廊

高舞殿の先には拝殿があり、左右に回廊が伸びています。

拝殿は、桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、檜皮葺。

拝殿、回廊ともに1642年再建。「南宮神社 18棟」として国重文。

 

拝殿の手前の庇は、桁行3間・梁間1間、片流、招き屋根付き、檜皮葺。

拝殿とは別棟というあつかいで、とくに文化財には登録されていないようです。

 

寺社建築ではめずらしい片流れ屋根。招き屋根(写真左)の桁を受けるため、柱から木鼻付きの腕木を伸ばしています。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

正面向かって左の柱。

柱はいずれも角柱。やや大きめに面取りされています。

柱の側面には拳鼻。柱上は出三斗。

 

拝殿の正面の破風。正面には軒唐破風が設けられています。

入母屋破風の破風板には猪目懸魚。見づらいですが、妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

軒唐破風の兎毛通は、鳳凰。

 

拝殿の母屋。

正面には庇、左右には回廊があり、母屋部分は観察しづらいです。

柱は円柱。長押は極彩色に塗り分けられています。頭貫木鼻はありません。

頭貫の上には蟇股があり、彫刻は彩色されています。

 

拝殿の左右の回廊は、切妻、銅板葺。

柱は円柱、柱間は緑色の連子窓。柱上は出三斗。中備えは蟇股。

軒裏は一重の吹寄せ垂木。

 

幣殿と本殿

拝殿の後方には、幣殿と本殿が鎮座しています。

写真右側に少しだけ見える低い屋根が幣殿のようです。

文化庁によると“桁行一間、梁間一間、一重、唐破風造、妻入、檜皮葺”らしいです。

 

本殿は、桁行3間・梁間4間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。

幣殿、本殿ともに1642年再建。「南宮神社 18棟」として国重文。

祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)。イザナミの吐瀉物から生じた神。当社では金属業や鉱業の神として信仰されています。

 

母屋の本体は側面(梁間)3間のようですが、前方に1間の前室(外陣?)がついていて、つごう側面4間となっています。このような前室付きの本殿は、流造のものであれば滋賀県でよく見られますが、入母屋のものは非常にめずらしいと思います。

これより先には進入できず、細部を観察できないのが惜しいです。

 

なお、当社の社殿は「南宮造」と呼ばれるようで、公式サイト*3によると“和様と唐様を混用した独特の様式”が南宮造の特徴らしいです。

しかし、和様と唐様を折衷(混用)した建築は室町初期にはすでに出現しており*4、当社の社殿は江戸初期の再建です。当社が発祥というわけでもないため、南宮大社の名を冠して呼ぶほどの理由は見当たりません。ふつうに「折衷様」と呼ぶだけで充分かと思います。

 

摂社

南宮大社本殿の左右には、計4棟の摂社が並んでいます。

後方には七王子社という社殿がありますが、回廊の先に進入できないため見ることができません。なお、七王子社は、「七間社流造、銅板葺」というめずらしい様式のようです。

4棟の摂社と七王子社は、本殿と同様に1642年再建、「南宮神社 18棟」として国重文

こちらは左端(南端)にある南大神社(なんだい-)。拝殿にあった案内板には、南大(みなみだい)神社と書かれていました。

一間社流造、檜皮葺。

縁側に脇障子はなく、欄干は跳高欄。階段の手前には浜床が設けられています。

 

南宮大社本殿の左隣には高山神社(たかやま-)

桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。

 

向拝部分の拡大図。

虹梁中備えは蟇股。虹梁木鼻には拳鼻。柱上は出三斗。いずれも極彩色。

ほかの摂社も同様の造りをしていました。

 

南宮大社本殿の右隣には樹下神社(じゅげ-)。案内板には樹下社(このもとしゃ)と書かれていました。

桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。

高山神社と同様の造り。

 

右端(北端)には隼人社(はやとしゃ)。

一間社流造、檜皮葺。

南大神社と同様の造り。

 

その他の社殿

拝殿と回廊の右側(北)には勅使殿。

入母屋(妻入)、銅板葺。

「南宮神社 18棟」として国重文。

柱は角柱、柱上は舟肘木、軒裏はまばら垂木。住宅風の建築。

 

勅使殿の手前(東)には神官廊が南面しています。

入母屋、本瓦葺。

「南宮神社 18棟」として国重文。

屋根は本瓦で葺かれ、どちらかといえば寺院風の造り。

 

拝殿と回廊の左手前には、神輿殿が北面しています。

入母屋、本瓦葺。

「南宮神社 18棟」として国重文。

向かい合う神官廊とほぼ同じ造り。

 

ほか、石鳥居と下向橋も国重文となっていますが、見逃してしまいました。加えて、境内の内外にも多数の境内社がありますが、時間がなくてまわりきれなかったため割愛。

 

以上、南宮大社でした。

(訪問日2022/06/25)

*1:文化庁の目録には「南宮大社」ではなく、戦前の社号の「南宮神社」で登録されている。

*2:附:棟札29枚、造営文書623冊。

*3:https://www.nangu-san.com/precincts.html、2022/08/19閲覧。

*4:歓心寺金堂や鶴林寺本堂が代表的。

【垂井町】真禅院

今回は岐阜県垂井町の真禅院(しんぜんいん)について。

 

真禅院は町の南西の山際に鎮座する天台宗の寺院です。山号は朝倉山。

創建は不明。社伝によると、739年(天平十一年)に行基が開いた宮処寺(ぐうしょじ)が前身で、勅命を受けた最澄によって南宮大社の神宮寺とされたとのこと。

確立された時期は不明ですが、かつては南宮大社の境内南側に鎮座していたようです。1600年(慶長五年)の関ケ原の戦いで境内伽藍をすべて焼失し、徳川家光による南宮大社の再建にともない、当寺の伽藍も再建されました。1868年(明治元年)には、神仏分離令を受けて南宮大社から独立し、朝倉山真禅院と称しています。伽藍は、当地の住人の協力により現在地へ移築されました。

現在の境内は明治時代からのものですが、主要な伽藍は江戸初期に造られたもの。本堂に相当する本地堂と、三重塔が国重文に指定され、両者とも極彩色の美麗な造りになっています。

 

現地情報

所在地 〒503-2124岐阜県不破郡垂井町宮代2006(地図)
アクセス 垂井駅から徒歩30分
関ケ原ICから車で10分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 朝倉山真禅院
所要時間 20分程度

 

境内

本地堂

真禅院の境内は東向き。南宮大社の西側500メートルほどの位置にあります。

 

石段の先には瓦屋根のついた冠木門。

 

門をくぐると、本堂に相当する本地堂が鎮座しています。

梁間3間・桁行4間、入母屋(妻入)、銅板葺。

1642年(寛永十九年)再建国指定重要文化財

当初は南宮大社の社殿のひとつとして造られたもので、1871年(明治四年)に現在地へ移築されました。2015年から3年にわたる修理が行われ、美麗な彩色が維持されています。

本尊は無量寿如来(阿弥陀如来)。南宮大社の祭神と同一視されていたもの(本地仏)で、これは神仏習合の典型例といえます。

 

建築様式は入母屋(妻入)。

前後にやや長い平面となっています。

 

正面は3間。

柱間は、中央が2つ折れの黒い桟唐戸、左右は緑色の連子窓。

建具の上には長押が打ちつけられています。

 

正面中央の柱間。

長押は六角形のパターンで極彩色に塗り分けられています。

柱は円柱で、上部は緑色に塗られています。

頭貫の上の中備えは蟇股。彫刻の題材は松。蟇股の巻斗の上は通し肘木になっていて、左右の組物と共有しています。

組物は木鼻のついた出組。桁下には緑色の軒支輪。

 

向かって左。

蟇股の彫刻は、松に鷹。

 

左側面(南面)。

前方2間の建具は、黒い舞良戸。

組物や、頭貫の上の蟇股などは正面と同様。

 

後方の2間は横板壁になっています。

 

左側面前方の蟇股の彫刻は、波に鴨。

ほか、鴛鴦(オシドリ)を題材にした蟇股もありました。

 

正面の入母屋破風。

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。拝み懸魚には三葉葵、破風板には三つ巴の紋。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

大瓶束の結綿は鬼の顔の意匠で、獅噛のようになっています。

 

観音堂と梵鐘

本地堂の右隣には観音堂。

入母屋、向拝1間、桟瓦葺。

本尊は十一面観音。

 

向拝柱は几帳面取り。柱上は連三斗。

虹梁中備えは蟇股。木鼻は拳鼻。

母屋前面は蔀戸になっています。

 

観音堂の向かいには鐘楼。

切妻、桟瓦葺。

本地堂とともに1642年に再建されたもの。県指定有形文化財。

内部に吊るされている梵鐘は奈良時代のものと推定され、国指定重要文化財

 

柱は円柱。上端が絞られています。

虹梁木鼻は拳鼻。虹梁の下部は、木鼻と斗栱で持ち送りされています。

柱上は出三斗。

 

虹梁中備えは大きな蟇股。

妻飾りは大瓶束。

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。

 

三重塔

境内の北端には三重塔が鎮座しています。

三間三重塔婆、本瓦葺。全高25.38メートル。

本地堂と同様に、1642年再建国指定重要文化財

 

三重塔は経年のため退色が進んでいます。

柱間は正面側面ともに3間。中央は板戸、左右は緑の連子窓。

 

縁側は切目縁。欄干は擬宝珠付き。

塔の初重の縁側に欄干を設けるのはちょっとめずらしいと思います。

 

軸部の固定は長押が多用されています。長押は輪違の文様をベースにしたパターンで塗り分けられています。

頭貫木鼻はなく、和様の意匠で構成されています。

組物は尾垂木三手先。

中備えの蟇股は、松竹梅などが題材となっています。

 

二重と三重。

欄干は跳高欄。中備えの蟇股は省略され、中央の柱間のみ間斗束が立てられています。

 

見上げた図。

いずれの重も、軒裏は二軒繁垂木。

 

その他の伽藍

境内の南側にもいくつか伽藍があります。

こちらは本地堂の南に並立する護摩堂。

寄棟、桟瓦葺。

 

不動堂のとなりには釈迦堂。

寄棟、向拝1間、桟瓦葺。

 

境内南端には薬師堂。

寄棟、桟瓦葺。

 

以上、真禅院でした。

(訪問日2022/06/25)